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2019年9月18日 (水)

都電の思い出(その1、三田車庫)

 8月に都電ナイトというトークショーをやったので、その時にセレクトした写真を小出しにして回数を稼ごうという魂胆です。41系統を車庫別にまとめたので、三田を振り出しに目黒、広尾、青山という順序になります。撮影は昭和40年頃からそれぞれの営業廃止の頃まで。系統を統括するのは営業所ですが、呼び慣れている「車庫」で統一しています。

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三田車庫の担当は1番(品川駅前~上野駅前)、2番(三田~東洋大学前)、3番(品川駅前~飯田橋)、37番(三田~千駄木2丁目)の4系統です。これは営業最終日の昭和42年12月9日、新橋5丁目付近を走る5502、擦れ違っているのは4番の1100形です。5500形は5501がPCCのパテントによる純正のPCCカーで、慣れない部品に手間取って完成が遅れたため、交通局が独自に開発して6501となるはずだった足回りにPCCタイプの車体を組み合わせ、5500形の第1号(ただし、車号は5502)として登場しました。足回りを横取りされた車体は同じ足回りを新製し、6501として竣工しています。

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三田車庫の系統案内図。運転台の後ろに掲示されていて、他の系統との接続もわかります。

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銀座4丁目の交差点を渡る5503。5500形の量産タイプです。

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最終日の夕方近く。三愛ビルから見下ろした銀座4丁目の交差点。だいぶ人が集まっています。車両は日本で唯一の純正PCCと
いえる5501。スカートが付いているのでマグネットブレーキ付きの台車は見えません。やや固い顔付きで、この方が本場のPCCに近い感じです。

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三田には6000形の後期車が多く配置されていて、車庫廃止後は大久保、荒川などに転属しています。都電よりクルマの方が懐かしいという方も多いことでしょう。

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2番は朝夕しか運転されない
系統なので、私が撮影したのはこれが最初で最後です。場所は日比谷。

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札ノ辻を走る3番の6000形。もうちょっと線路寄りから撮りたかったけど、クルマが来たので諦めました。今でもこの位置から東京タワーは見えるだろうか。

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品川駅前で折り返す3番の6000形。電停は写真の左に位置しています。都営地下鉄は大門のあたりをうろうろしていて、京急はまだ品川が終点でした。

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3番の飯田橋。右に15番の2500形が見えています。左奥から13番が降りてきますが、線路はつながっていません。

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杉並線から転属してきた2000形。場所は若葉町です。ここから赤坂見附までは高速道路建設のために線路が移設され、単線になっています。この系統は数年前まで小型の700形が使用されていました。スインクボルスター式の台車で乗り心地がよかったのですが、写真は撮っていません。2000形も幅が狭くて定員が少ないため、三田ではほぼ3番専用になっていました。

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和田倉門付近を走る37番の6000形。ここは錦糸堀の25番、巣鴨の35番も走り、37番は影の薄い存在でした。右の建物は銀行協会のビルだったかな。今も近代的なビルに埋め込まれるような形で一部が残されているはずです。

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これは狙って撮ったのではなく、おっ、7020じゃないか! というので慌てて撮りました。そのため傾いてるしビューゲルもきれています。東芝の高性能試作車で、台車は直角カルダンのTT101。その特異な形態がなんとかわかると思います。三田にはもう1両、6501という試作車がいましたが、最終日にも走らないまま廃車になりました。

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これはオマケ。芝浦の局工場です。手前から3両目に1500形が見えています。

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花電車用の単車。実際に花電車として使用されたのは、昭和33年の皇太子ご成婚の時が最後だったようです。この車両が使われたのかは不明。

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コメント

じじいの夜道は危険なので最後まで聞けずにすみませんでした。7020の台車のアップが見たかったですね。

うわ~懐かしい。
残念ながら中学生だった小生は、都心への単独外出なんて許されていなかったのと、カメラもロクに持っていなかったのでこんな写真は撮れませんでした。
それにしても京急品川駅には、当時新車の700系が止まっていたとは!
何とも貴重な写真、続編を期待しています。

ぼっちぼちさま
7020はこの時以外に走っているのを見たのは1回だけです。車庫では引きが取れなくて、台車の写真は撮れませんでした。

OER3001さま、
箱入り息子だったのですね。京急品川は230形が見えているカットもあります。

都電三田車庫なつかしいですね。1系統の最終日は品川駅前と、三田車庫で撮影しました。駅前で5503を撮りました。
5501は撮影中には現れませんでした。駅前で撮影後三田車庫に向かいました。車庫には同業者で混雑していました。
整理している係員が、「お前ら都電ほしいやついないか~。ただでくれてやるぞ。ただし運搬費だけは出してくれ」と言っていました。
1/80や、1/45ならお持ち帰りできますが、1/1はねえ~。置くところも無いし。(笑)

銀座ー品川は確か乗ったことがあります。記憶の奥底にあるものが蘇りました。
三田と来ましたか! てことは、チンチン・・みたぁー
格調高いブログに申し訳ありません。

八千代運転所さま、
5501は夕方から出てきたようですね。車輪の打ち込みの角度が狂っていて、前年の夏頃にそれを直してから、稼働率が上がったそうです。

シク鉄さま、
三田は車庫の中でも格上とされていますが、面倒な車を9両も持たされて、現場は大変だったと思います。運転士と車掌、男が2人乗っているからチンチン電車、なんてね。

鋼製の「乙」は撮りましたが木造の「花」は初めてお目に
かかりました。貴重な1枚ですね。

ぬか屋さま、
乙はホギーの乙1000が3両、単車の乙1が1両いました。花は局工場にいたので、人目に触れる機会は少なかったですね。

トークショウに伺うつもりが、暑さのせいか歳のせいか、1週間違えてしまいました。
都電の写真をみると、ついつい電車より昔なじみの街並みに目が行きます。

Cedarさま、
この頃は一眼レフもズームレンズもなく、標準レンズに望遠はせいぜい100mmでした。いやがおうでも周りが写り込むわけで、今見ればそれがよい記録になっていますね。

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