« 玉電デハ60形の製作(その5) | トップページ | 田園都市線長津田開業直前の二子玉川園 »

2019年7月15日 (月)

72万アクセス

 今朝ほど、アクセスが720,000に達しました。ということで関連する形式といったらモハ72です。これは最近、この形式の写真が必要になってネガから複写したので、結構出てきます。ほかにはED72なんてのもあります。これも写真はありますが、データ化していないので今回はパスします。

P620114772635
私、モハ72にはいやというほど乗っている世代です。物心付いた時から中央線の主みたいな存在でした。しかし、その時代の写真はほとんどありません。これは常磐線にいたモハ72635、三河島事故の復旧車という訳ありなのです。鋼板屋根になって妻面のキャンバス押さえがなくなっているのがなんとかわかると思います。グロベンの位置も全金車並みに半ピッチずれています。

P6301768750979321
これは千葉ローカルの末期。3M3Tが基本ですが、サハなしの4M2Tになっています。2両目が全金車ですね。関西からの転属車が増えたので、前面の方向板は使わなくなっています。

P6291548667
中央線の山ゲタ、スカ塗りになった850番代です。オール4ドアだとトイレがないので、一番右にクハ76が組込まれています。

P6201168
ジャスト72の車号はないかと探したら、意外なものが出てきました。有名な阪神の金魚鉢、71形の72号です。廃止直前の阪神野田で撮影。

P5093862
もうひとつは京阪70形の72。初めて自前で関西に行った昭和39年の夏、浜大津です。
拡大解釈すれば東急7200系もOKだし、写真もありますが、データ化したものがないので省略。

別件ですが、ぬか屋さんのブログで突っついた玉電二子玉川園の少し古い写真が出てきたので、埋もれてしまわないうちに貼っておきます。

P6201229
昭和41年2月の撮影です。ホームは田園都市線の続きで右から3番線=玉川線降車、4番線=玉川線乗車、5番線=砧線乗降となっています。わざわざ砧線から玉川線に同じホームで乗換えられないようにしているのは、砧線が鉄道線で運賃の通算ができないためなのでしょう。

« 玉電デハ60形の製作(その5) | トップページ | 田園都市線長津田開業直前の二子玉川園 »

雑ネタ」カテゴリの記事

コメント

72万アクセス達成とは凄い勢いですね。 当然ながら73万アクセス到達時はクモハ73ですね、楽しみです。
ところで72は、玉電にも居ましたが二子玉川園の画像だけで少々残念! 
ホーム番号は田園都市線?からの続きだったことは知りませんでした。 大井町線はどうなっていたのでしょう??

OER3001さま、
クモハ73はだいぶありますよ。玉電の72はあるはずだけど、ネガをチェックしている時間がありません。うまくいけば78までカバーできます。
二子玉川園のホーム番号、当然、田園都市線(大井町線)と新玉川線で1~4番になっているはずなんで、玉電の3~5番は新玉川線開業前の通しナンバーなのでしょう。鉄道と軌道だからダブっても構わないということなのだろうか。

追記です。
よく考えたら昭和41年2月だとまだ田園都市線も開業していません。新玉川線の開業は玉電廃止の8年後ですから、ホーム番線のダブリはなかったわけです。

リクエストにお応え頂き有難うございます。昭和41年だと私が撮った2~3年前ですね。
大井町線(田園都市線)の高架化工事の絡みで少しホームが渋谷寄りみたいで
撮影位置は右側を高架化前の大井町線ホームの脇辺りと思慮されますが。
番線は1,2番が高架化前の大井町線、3番は玉川線の降車、4番は乗車、5番が砧線で
ダブル事無く繋がりますね。

ぬか屋さま、
線路を横断する通路を右に振ると、大井町線の仮改札口に通じています。他のネガを見ると大井町線は高架になって間もないようで、地平の時の架線柱がまだ残っているのが確認できます。

72万アクセスすごいですね。
OER3001氏のおっしゃるとおりこの後は、73万、クモハ73ですね。その後の、74はいろいろありますね。(クモユニ74、クモハユ74等)
さらにこの後も旧型国電の形式は続きますね。
千葉の旧国の方向板は、編成番号札部を避けた逆T字型を使用していましたね。線区別に色が違っていました。
廃車回送の時、ほしい旨話したところ「どれが良い」と言われたので、「全部」と行ったところ「全部はダメ」と言われ4枚ほどいただきました。
でも、残りはそのまま積んでいきました。


72というと私も京津線ですね、まだ寝屋川車庫の入替車として健在、ブリル27-E唯一の現役です。

八千代運転所さま、
70代は電機も79まであるし、ネタには困りません。千葉ローカルの旧国は関西からの転入車のATSがS・Aになっているのがいて珍しかったです。

Cedarさま、
京津線70形の写真はこの1枚だけです。現在は車内に大容量のMGを積んで1500Vに対応しています。関西でも現存するブリル台車はこれくらいですかね。

当時の沿線住民として一言。
お写真は昭和41年2月との事ですので、既に田園都市線はありました。
昭和38年、私が幼稚園児の時、大井町線は田園都市線に名称変更しました。まだ、溝の口までの時代です。
デンデントシ線ってどういう意味?と親に聞きましたが、明白な回答を得られなかった記憶があります。
その後、昭和41年4月に溝の口-長津田が開業し、二子玉川園-二子新地前が高架化されました。
従って、師がご撮影された時は、高架はほぼ出来上がっていても、まだ地上を走っていた時代と思われます。
二子橋は併用軌道だったはず、お写真残っていませんか?

シグ鉄さま、
そうか、線名だけ先回りして変わっていたのですね。このカットから右に振ると高架下のような仮改札口と、架線のない架線柱が写っているので、高架になった直後かも知れません。その画像もアップしないといけませんね。二子橋を走る写真、ありますよ。

師匠、72万アクセス、おめでとうございます!!

弟子Mさま、
ん、それだけ? もっと突っ込まな、あとが続かんやろ。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 玉電デハ60形の製作(その5) | トップページ | 田園都市線長津田開業直前の二子玉川園 »

2022年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
フォト
無料ブログはココログ