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2019年6月25日 (火)

こんなの写ってました、昭和41年10・11月

 最近、データ化したネガから拾い出した画像です。撮影年月日は昭和41(1966)年10月23・24日と11月6日、3日間で20枚撮のフィルム1本です。大学の3年生で、カメラは父親と供用のちょっと癖のあるレンジファインダー式。写真部に入っていて「俺はシロートじゃない」とう意識があったけど、写っている画像を見ればズブのシロートにやっと産毛が生え始めたくらいです。今みたいにテーマを決めたまとめ撮りをすることもなく、写っているものもまったく脈絡がありません。だからかえって意外性があっておもしろい、というのは負け惜しみだろうか

P6201203
中野駅3番線に到着する国鉄301系の第5編成。行き先は荻窪だし、まだ前面に黄色の帯はありません。

P6201204
同じ所でこちらは第2編成。第5編成とはどこが違う? そう、窓下の帯がありませんが、これがオリジナルなのです。第5編成から窓下にも帯が入りました。この帯は着色した薄いアルミ板を貼り付けたもので、車体の凹凸の隙間から雨水が入り、部分的に剥がれているのを時々見ています。第6編成からプラ板のビス止めになり、前面窓下にも黄色帯が入るようになりました。それと車体はクリアラッカー仕上げなので、光線の具合によってはかなりギラリと光っていました。
 画面ほぼ中央に立っている「合」の標識、これは分割併合で2両増結をする時の停止位置を示しています。

P6201210
営団5000系アルミ車との並び。行き先は大手町で、その先はせっせとほじくり返している最中でした。営団車もまだ前面の帯が細いままです。

P6201206
これはクモヤ22がお目当てです。となりの101系が東シナになっているから品川でしょう。

P6201211
次は京王線の新宿。まだ新線新宿はありません。休日運転の高尾山口行き特急で、調べてみたら23日は日曜でした。

P6201212
初台~幡ヶ谷間の甲州街道と並行している所。京王多摩川行きの快速です。左は淀橋浄水場がなくなってご用済みになった玉川上水の跡。右の甲州街道には京王バスが走っています。

P6201213
5000系の特急「高尾」。先頭車側面はヒゲ付、台車はデハ2700から流用したTS-101のままです。

P6201214
井の頭線から転用された1710系。1711はクハ化されています。両運転台になった1715は2016編成の八王子寄りに連結されていました。

P6201221
四ッ谷~市ヶ谷間の101系快速。架線柱は木柱が幅を効かせています。クモハ100はパンタがPS13だから、中野の所属かも知れません。

P6201217
これは24日でしょうか。東急田園都市線の長津田です。まだここが終点で車両は旧型の4連。平日のデータイムは鷺沼で2両解放を行っていました。3両目のクハは2色塗りの旧塗色です。

P6201220
東神奈川で後追いしたコキフ10000。同じ日としたらこちらが午前中、長津田が午後になります。

P6201225
長津田から厚木に回ったのか。相模線はキハ10、20、30、電化直前には40と両運転台の形式のみが配置されていました。

P6201222
これは11月6日かな。やはり日曜で、場所は千駄ヶ谷です。この時代は飯田町で貨物扱いがあったので、快速線を貨物列車が走っていました。飯田町には客車区もあり、旅客列車の回送もありました。

P6201223
有楽町で列車は「常磐伊豆」。水戸あたりから伊豆急下田までを直通する臨時列車で、かなりレアものです。この列車の存在はまったく頭になく、いきなり現れたのを咄嗟に構えたので少しブレています。まぁ、ヘッドマークの列車名が読めるからよしとしましょう。

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コメント

クセのある・・・とおっしゃっても、ピントも露出もビッタシですね。もう、自動露出だったのですか?

1966年頃のネガをデジタル化しておりまして、同年の7月27日のネガに中野駅での301系の
試運転の画像がありました。お互い同じ様な所うろついてますね。

1966/昭和41年ですか、小生もほぼ同じ写真を撮っていますが、ピントバッチリのモハメイドペーパーさまの写真は凄いです。
京王線を小生の母校(小学校)、代々木郵便局界隈で撮られていたとは驚きです。「高尾」のHM,丸いのは記憶にありません。逆五角形になったのはいつだったのでしょう?

ぼっちぼちさま、
ピント合わせは二重像合致式だったので、ペンFTの全面マットなんかより合わせやすかったです。露出計は内蔵でも連動ではなく、ライトバリュー値で絞りを決めていました。モノクロは晴れていれば1/250のf8でなんとかなったし、レンズシャッターだから最速でも1/500です。

ぬか屋さま、
東西線が小刻みに延びていったし、中央線は荻窪~三鷹間の複々線化が進行中で、なかなかおもしろい時期でした。

OER3001さま、
1本のうちにはピンボケや露出に過不足のあるコマがいくつはあります。それとたまにフィルムのカラ送りが発生する機種があり、不思議とここぞというカットでやられました。甲州街道沿いの場所ではカラーでも1700、2700を撮っているので、次の出版に売り込んでおきます

追記 
特急「高尾」のマークが五角形になったのは、6000系が出てきてからだと思います。

うわぁ、懐かしい写真ばかりです。目を皿の様にして鉄道を見ていたガキの頃の血が騒ぎます。
田園都市線色違い編成、確かにありましたね。
品川車庫、そうそう、あの頃はホーム脇にも2、3線側線があって田町側にも留置線がありました。

ひとつ疑問なのが中央線。24日の日曜日?
この頃、日曜は総武線が御茶ノ水折り返しで、中央線が緩行線を走っていたような・・

シグ鉄さま、
田都の旧型は3450形が3M1T、3600形が2M2Tで、分割後の2連運転は3450形だとMc-Mcとなっていました。中央線の快速ですが、昭和41年4月の中野~荻窪間複々線完成時から休日も運転となっています。ただし、平日でも夜間は下りの新宿20時ちょい発が最終で、これは荻窪止まり。荻窪の中線で一夜を明かし、翌日、朝一番の上り快速になっていました。

こういう写真の撮り方、のちになって資料として貴重になりますね。
デジカメ、スマホ時代になって、却ってカメラ無精になってるのはイカンですねー。

Cedarさま、
この当時、1日で36枚撮り1本を撮りきることはまずなかったです。それとレンズ交換できるカメラでも望遠はせいぜい100mmくらいだから、意識的でなくても車両以外のものが写り込んでいます。

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