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2019年4月30日 (火)

小田急向ヶ丘遊園駅 リニューアル

 平成最後のブログはこれで締めとします。小田急の向ヶ丘遊園駅が4月1日にリニューアルされたそうなので、大和まで行く用事があった19日、途中下車して眺めてきました。

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リニューアルされたのは南口の駅舎ですが、連絡通路もこんな具合になっていました。灯具の色が少し派手目かな。昼間で点灯していなかったから、電球色かどうかは確認できません。

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南口の駅舎。駅名の表示が地味ですね。

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別の角度から。ビルに囲まれ、随分と小さく見えます。カメラの位置はかつてのモノレール乗り場に近いあたりで、さらに昔はこの左手に豆電車の車庫がありました。

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せっかく降りたので北口も見てみます。登戸寄りの踏切への道路はものすごい番地で、道の反対側は2900台でした。

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開業時の面影を伝える北口の駅舎。2段になった屋根はマンサード型というそうで、以前は玉川学園前、渋沢、新原町田、本厚木、大秦野、新松田もこの様式でした。よく見ると赤丸部分は小田急の社章になっています。*oer3101newseさまのご指摘により訂正しました。

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この角度だと屋根の形がよくわかります。この駅舎も原型をそこなわずにリニューアルされるそうです。かつては駅前広場が狭く、この右手奥にバスの向きを変えるターンテーブルがありました。

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コメント

登戸ー向ケ丘遊園間はまだ複単線のままなのでしょうか?
マンサード・ルーフ、東急の田園調布も保存されていますね。

いつも拝見させていただいております。
小田急線開通時マンサード様式で建築された駅舎は、向ヶ丘遊園駅北口ほかは,町田駅、本厚木駅、大秦野駅、新松田駅の5つです。
文中の玉川学園前駅、渋沢駅共にマンサード様式の駅舎ではありませんので連絡いたしました。

シグ鉄さま、
登戸~向ヶ丘遊園間は南側に南武線との連絡線があり、この土地を持っていればもう1線敷けたかも知れません。

oer3101newseさま、
ご指摘ありがとうございます。うろ覚えで書いてはいけませんね。

2000番台の番地、多摩地区でごく普通に見慣れていましたのでそういう見方もあったのか・・という印象を受けました。国立市の谷保天満宮辺りですと9000番台、銚子市犬吠埼には10000以上の番地の場所もあります。

モハメイドペーパーさま
向ケ丘遊園駅のリニューアルを確認されたのですね。
北口駅舎妻面上部の小田急社章は、正しくは開業時の小田原急行鉄道のもので、似ていて非なるものですので念のためお知らせした次第です。細かいことですみません。

s.sawaさま、
23区内では番地は概ね3桁、丁目がつけば2桁くらいで収まっているようです。10000以上で飛び番がないとしたら、その町域はどのくらいの広さなんだろうか。

OER3001さま、
やはりそうですか。はっきり見えないけど、ちょっと違うような気もしていました。

いつも通勤で通過しているのに
リニューアルは知りませんでした。
ご覧になったと思いますが
登戸~遊園周辺は現在区画整理事業中で
複単線の北側にもう1線増やし複々線にするようです。
その完成はいつになるのか、
横浜市営地下鉄の新百合延伸とどっちが早いのか
地元民でもわかりません(笑)

にぶろくさま、
確かに北側の方が土地収用は楽そうですね。今の遊園は実質的に登戸の構内といってもよいくらいです。

JR国立駅の旧駅舎の再築工事が小田急に負けずに始まっています。
外観は工事シートで覆われていますが、昔の姿が想像できます。

ぬか屋さま、
国立もやってますか。中央線で昔の駅舎が残るのは、国立と高尾くらいかな。

たしかに、昭和46年にはじめて本厚木駅に降り立った時、もうもうとした砂ぼこりの中で見た駅舎はこのような形でした。懐かしいです。

ぼっちぼちさま、
昭和46年だったらある程度は開けていただろうけど、本厚木はまだまだ田舎でした。確か小田急も相模大野から先は喫煙OKだったと思います。

遊園南口もマンサードもどきになったんですね、先日訪問した上毛電鉄西桐生駅もマンサード屋根でした。
フランス人建築家マンサールが創出した様式だそうで、いかにも私鉄の駅舎らしくていいですね。

Cedarさま、
あくまで「らしく」です。鉄道創世期には建設業者があちこちの会社から仕事を請け負っていたそうなので、様式が似ているのは同じ業者の施工と考えられます。

玉川学園には、駅直近の踏切突き当りに、この駅舎の様式によく似たマンサード屋根の不動産屋がありましたので、もしかするとその記憶があるのではないでしょうか?
その不動産屋をやっていたのは、私の祖父と叔父だったのです。

赤影さま、
途中駅はあまり降りたことがないので、駅舎の記憶はかなり曖昧です。踏切の突き当たりまでは目が届いていないですね。

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