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先週の暖かくなった日あたりから花粉も飛び始めたようで、ほぼ1日家に籠もっていても目が少ししょぼついています。まぁ、医者に行くほどではなく、市販の目薬で対処できそうです。
さて、玉電はというと、厚みを8mmから10mmにした屋根板を整形します。川崎車両製で肩のRが大きい鋼板屋根の特徴を再現するため、怪しげなゲージも作りました。
前面のバンパーは金工ヤスリで整形します。右が加工中、左がまぁこんなもんだろうという状態。すべて目分量です。
車体に接着し、隙間をパテで埋め、さっとサフェーサーを吹いたところ。今までどうも馬面に見えていたのですが、これでだいぶ玉電のイメージに近づいてきました。
だがしかし…
この状態では妻板との接線が緩い弧を描いています。70形ならこれでいいのですが、60形はほぼ直線になっているのです。同じメーカーなのになんで違うんだろうか。
手持ちの写真から違いのわかりそうなのを探してみました。左が60形、右が70形です。
文句をいっても始まらないので、両端にエポキシを盛って整形します。
なかなか両側を均等に削るのは難しい。本物もこのあたりの工作は現物合わせのようで、車号によってバラつきがあります。屋根は乗せただけで、まだ固定していません。
側板の下端は僅かですがバンパーに回り込んでいます。一旦直線に落としてから、三角の板をロックタイトで接着し、パテを盛って整形します。
ほとんど継ぎ目はわからなくなりました。
屋根の整形も終わったので、いよいよ車体と接着します。
屋根板に微妙な反りがあるので、接着剤が乾くまで押さえていないといけません。手で押さえているわけにもいかないので、クランプを買ってきました。1個360円(税込み)です。
阪鉄車両さんのブログでお馴染みのシーンです。やたらきつく締めると車体が壊れそうなので、加減が難しい。
しっかり固定できました。
一晩おいてよく見ると、屋根は少し深すぎるような気がしてきて、ガリガリと全体を削りました。てっぺんで0.5mmくらいは低くなったでしょう。屋根の削り直しはこれで7・8回くらいになります。
ラッカープライマーで目止めしてからサフェーサーを吹きます。これでもよく見ると板の継ぎ目のところなどにスジが目立ち、軽くヤスって整形しました。アガチス材と檜板の積層方式なので、注意しないと柔らかい檜の部分が大きく削れてしまいます。オデコの部分に残っているヤスリ目の跡は、パテを薄く塗って修正しないといけません。それが終わればシル・ヘッダー貼りに進めそうです。
京急で横浜に向かう時、蒲田の直前で高架の脇にちょいと由緒のありそうな公園が見えます。ずっと気になっていたので、先日(18日)、現地調査に行ってきました。
京急蒲田の東口に出て、国道1号線を北に向かって歩きます。
普通に歩いて5分ほど、歩道橋の脇に入り口があります。正式な名称は「大田区立聖蹟蒲田梅屋敷公園」で、昭和14年10月12日に開園。明治天皇が行幸されたので「聖蹟」を冠しているわけです。
公園の由来が書かれています。
歩道橋の上から京急蒲田寄りを見たところ。手前に大きな常緑樹があり、梅はほとんど見えません。
品川寄りの一画は梅の若木が植えられ、立ち入り禁止になっています。
園内に入ります。紅梅、白梅とも五分から七分咲きくらいです。
紅梅に京急を絡めてみた。
こちらは白梅(いわなくてもわかる)。
日本橋からの距離を表す石碑。ほかにも歌碑なんかがあります。
木立に隠れているけど、一番大きいのがこれ。忠魂碑とあるので、戦時中に建てられたのだろうか。
横の道からの入り口。ここを入ってすぐ右には相撲の土俵もありました。
梅屋敷まで歩いて京急に乗ったけど、まだ陽は高い。それなら以前から気になっていた旧東海道を歩いてみようと新馬場で下車しました。こちらは旧南馬場の改札口。ホームの階段から地上に降り、そのまま少し歩いてやっと改札口です。
東にちょっと歩けば旧東海道に出ます。街路灯の柱に品川宿場通り南会とあるけど、見た目は普通の道路です。
住居表示にもしっかり旧東海道と表示されています。
数分で目黒川に架かる品川橋に出ます。川を境に北品川と南品川になり、かつては境川とも呼ばれたそうです。京急の新馬場ホームはこの川を跨いでいます。
すぐ上流に派手派手な橋と鳥居が見えます。
橋の脇の注意書き。老朽化といっても土台は鉄骨だし、人間が5人や10人くらい固まったからって、落ちることはないだろうと思うけど…。
橋を渡った先は荏原神社。鳥居の後ろに見事な紅梅が咲き誇っていました。柱の陰に大黒様の石像があります。
旧東海道に戻ります。お休み処は月曜が休館日でした。
その先に曰くありげな柱と石碑がありました。
ここは本陣の跡でした。今は明治天皇の行幸を記念した聖蹟公園になっています。
開園は昭和13年、まだ東京市です。
ここが御聖蹟。
北品川の駅近くにあった下駄屋。屋号が右書きです。
すぐ近くにもう一軒、こちらは金物屋です。軒下に星野金物店とありますが、本来は野と金の間に屋の文字があったようです。
京急の踏切が見えてきました。旧東海道はここまでです。
目の前は八ッ山橋。一挙に鉄モード全開になります。廃車が始まっている都営5300系。ちょっと白っぽいけど山陽電車の色にそっくりです。
形式が違っても顔は同じ。
たまに色違いも来ます。
八ッ山橋の欄干にも旧東海道の文字がありました。
橋の袂の案内板。旧東海道は鈴ヶ森(大森海岸の手前)まで続いているようなので、近いうち残りの南半分も歩いてみます。
3月16日にJR各社のダイヤ改正が行われるので、私鉄でもこれに合わせてダイヤ改正を行う会社があります。新線開業とかはないので、いわゆる白紙改正はほとんどありませんが、西武鉄道では、国分寺~本川越間の直通列車がなくなるという項目が目に留まりました。これは東村山駅の改良工事に関連するもので、廃止ではなく休止と表現していますから、工事完了後には復活するのかも知れません。しかし、その時まで生きている保証はないので、直通運転の状況がわかる写真を撮りに出かけました。
まずは現在の東村山駅の配線をおさらいしましょう。久しぶりのお絵かきです。茶色の1番線は国分寺~本川越または西武園への直通列車のみが使っていて、これが改良工事の進展により使用停止となるようです。緑の2・3番線はもともとつながっていたのですが、今は真ん中付近で分断され、2番線(図の右)は国分寺線、3番線は西武園線が発着しています。4番線が新宿線の下り、6番線が同上り、5番線は特急の上下供用になっています。
2番線の終端付近から。左のホームが1番線で、ここに発着するのは日中の1時間あたり上下各1本しかありません。
跨線橋から2番線を見たところ。
4番線の先端から所沢方面を見ると、高架の鉄骨が組み上がっています。
西口(1番線)寄りから見ると、大がかりに地面を掘ったりしているのがわかります。
1番線に新宿線からの国分寺行きが到着。毎時、国分寺行きが33分、本川越行きが37分に発車します。
改札を出で所沢寄りの踏切から。右が西武園線、左の2本が新宿線です。
振返って本川越方向を見てみましょう。左へカーブしていくのが西武園線。渡り線が2箇所あるのが確認できますね。かつては国分寺連絡の貨物列車が1日に数回、ここを通過していました。
国分寺線からの本川越行きが通過していきます。
数分後に本川越発の国分寺行きがやってきまた。先頭車が新宿線の下りにかかります。
クネクネ~。
さらにクネクネ~。
ポイントは8番くらいかな。だいぶスピードを落としています。
ここまで来たので、ついでに所沢の様子も見ておきます。新宿線上りホームの表示。
短い6連がやってきました。
停止位置は頭合わせなので、本川越寄りの4両分には止まりません。
下りも撮っておきます。
本川越行きの停止位置はケツ合わせです。右の柱の上に「6両編成の先頭はここ」という表示があります。腹も減ってきたので今日(1月30日)の撮影はここまで。
鉄道模型とあそぼうの3日目、模型の集まりには必ず現れるオッチャンが「差し入れだよ」とバッグから取り出したのがこれ。
東京じゃ買えない地域限定商品だそうです。姫路のえきそばって、確かそばのだし汁に中華麺が入っているやつじゃなかったかな。
予想は当たり。パッケージにも「和風だしに中華めん」と書いてあります。えきそばだけではなく、神戸から姫路あたりでは結構ポピュラーな存在のようで、「俺も知っとるよ。小学校の給食で時々出てきたから」なんて声も聞かれました。
現場で試食は無理だったので東京まで持ち帰り、数日前の昼飯にいただきました。蓋の裏に曰く因縁が書いてあります。要はうどんだとすぐ伸びてしまうので、その対策をいろいろ試行錯誤した結果、一番伸びにくかった中華めんに落ち着いた、というようです。
熱湯をかけて4分間。おあげさんの味付けは紛れもなく関西テイストでした。考えてみたら、ゆで太郎のざる中華も同じ組合わせです。
今年は曜日の並びがよく、9・10・11日の3連荘となりました。前日の8日を移動日にしたので寄り道はなく、真面目に仕事をしたなという感じです。
予告編でお知らせしたとおり、往路は高速バスの乗継ぎです。スタートは東京駅八重洲口9:30発の新東名スーパーライナー5号。座席はほぼ真ん中の6Dです。
足柄サービスエリアで最初の休憩(11:00~11:20)です。晴れていればバックに富士山が見えますが、この日はこんな天気でした。車両は日野のセレガ。昼行用の4列シートです。以前に乗った時、JRバス関東持ちの便は3列シートだったのですが、運用が変わったようです。乗車率は7割くらいで、となりの6Cの客は連れのいる席に移動したため、終着までゆったり座れました。このバスの最も気に入ったのはトイレが広いこと。最後部の車幅いっぱいを使っているので、洗面所を独立させてもいいくらいです。
2度目の休憩は遠州森町。新東名は路線バスが少ないので、自分のバスはどれだっけと迷うことはありません。しかし、開通当初に比べるとかなりトラックが増えています。浜松から西は2車線なんで、部分的には車が切れ目なく走っている区間もあります。伊勢湾岸から名古屋高速を黄金で降り、JRの線路を渡る跨線橋も今回はすんなり通れました。14:25頃、名古屋駅新幹線口に到着。数分の早着でした。
大阪行きの便までは1時間あるので、入場券を買って名古屋駅に入りました。特急も快速もJR東海の車両はすべてステンレスです。手前の線路に211系の普通が停車しているとき、中線をEF64重連のタンカー列車が通過。わかっていればホームを移動したのに。
次に乗るバスは15:30発の名神大阪線超特急17便。大阪駅高速バスターミナルまでに止まるのは名神深草、千里ニュータウンの2箇所です。車両は日野セレガですが、新東名の便よりワンランクくらい下のクラスで、シートもやや小ぶりです。座席は4D、ほぼ満席でとなりは真面目そうなオジサンでした。
名神大阪線となっているので名神経由と勝手に解釈して、関ヶ原で雪景色が見られるかと思っていたのですが、発車したら伊勢湾岸~東名阪~新名神という、夜行便と同じコースでした。名神から中国道までは順調に走ったものの、新御堂筋に入ったとたん、夕方の大渋滞に巻き込まれました。先を急ぐ旅ではないけど、千里ニュータウンで降り、北急に乗り換えて大阪入り。梅田の地下街で夕食をすませ、定宿に到着。ゆっくり風呂に入って明日に備えます。
9日は辛うじて雨は降っていないという空模様。それでも9時ちょい過ぎに青少年科学館に着いたら、もう30人くらいが並んでいました。
相変わらずトロいエレベーターで4階に直行。会場はいつもどおりのレイアウトで、画面左がGTC(ゼネラルトレインズクラブ)、右がグループ9関西、右奥が日本トロリーモデルクラブ、一番奥がJORC関西です。
JORC関西の全景。
内線ヤード。
外線ヤードの奥。
レールがないところにも路面電車が待機。初日はポイントマシンの調整や、車両の割り振り(どれをどの線に置くか)に意外と手間取り、最初のデモ運転はなんとかボロが出ないですんだという状態でした。
今年は神鉄の創業12090周年なので、こんな車両も登場しました。
16時過ぎにはCedarさんが東京から到着。早速ノースショアのインターアーバンが走り始めました。
10日は天気に恵まれ、13時を過ぎても入館には赤い線のように長い行列ができていました。
デモ運転でない時でもお客さんはぎっしり。2日目の午後は車両も人間も一番調子が出ています。この日の入館者は過去最高の5800人だったそうです。3日目はそろそろ疲れが見えてきますが、目立ったトラブルはなく切り抜けました。16:45に最後のデモ運転が終わったら、挨拶もそこそこに会場を後にします。新大阪からの新幹線は心地よい疲労感でほとんど夢の中でした。
鉄道模型とあそぼうの報告も控えていますが、時間の都合でこちらを先に片付けます。大阪に出発する前日(7日)の夜に66万アクセスとなりました。
66(ロクロク)と来れば、やはりこれでしょう。この時は吹田で早朝に待ち構えていたのですが、雪のせいとかで3時間ほどの遅れとなり、新大阪で腹ごしらえして、また戻ってきました。
ブルトレをもうひとつ。これは静岡地区の113系のラスト撮影に行ったときのオマケです。国鉄にはキハ66なんていうのもいて、昔、九州の日田彦山線で撮った覚えがあるのですが、ポジを探すのが面倒なので割愛します。
大阪市交の66系。今はリフレッシュ改造が進行中で、顔つきも少し変わっています。
頭に66がつけばよいと拡大解釈して、南海のサハ6601形です。登場時はサハ6801形でしたが、冷房化の時に形式変更されています。
近鉄は南大阪線に6600系がいますが、2連4本の少数派で写真がありません。6620系でお茶を濁しておきます。
これも国鉄ですが、取っておきは最後に登場です。なんで113系が出てくるんだと思ったあなた、よ~く見てください。クハの台車はTR48だし、モハのパンタはPS13、車体裾のカーブもなんとなくおかしい。勿体つけなくてもわかる人はおわかりでしょう。73系を身延線用にアコモ改造したクハ66とモハ62なのです。
4連3本ですが、台車の違いで0番代、300番代(クハのみ)、500番代(モハのみ)と分けられていました。これを手本にして仙石線用には103系もどきのアコモ改造車が登場します。103系もどきは後に本当の103系になりましたが、こちらは115系にはなれず、10年ほどで廃車になっています。
玉電60形の製作、今のところ順調に進んでいます。屋根や床板の整形、車体にサフェを吹いてはペーパーかけという作業なので、手はすぐにカサカサ、部屋の中も粉っぽくなっています。
両端のドアの内側になる部分。かなり複雑な形になっています。これを縦真っ二つに切るわけですが…。
一箇所間違えたので修正(追加)しています。どこが追加した箇所か、わかりますね。
貼り付けました。内側扉の内張りは外板から数えて5枚目になります。
両端ドアはかなり立体的になりました。
前面とその窓枠も切り抜きました。ただし、窓枠は両端を延長して隅柱の補強を兼ねるように変更しています。
いよいよ立体になります。
箱らしくなりました。
車体幅をきっちり出すため、オデコ部分は半月形の板を接着。車体幅50mm、側板は1.8mmになったので、半月板の幅は50-(1.8×2)の46.4mm。ノギスで測りながら誤差0.1mm以内に収めました。
床板取付けと側板の膨らみ防止を兼ね、腰板部分にアルミアングルを接着します。両端の内側扉の内張が出っ張るので、その分(0.5mm弱)だけヤスります。元が0.9mm厚なので、残りが0.4mmになればOKです。床にあたる方はステップになる部分を抜いておきました。
アングルを貼り付けたら、前面腰板にも半月板を接着。接着剤が完全に乾くまで、幅と前面カーブを決めるゲージを嵌め込んでおきます。
前面台枠部分に付くバンパーは5mm板から削りだし。これに3mm板を重ね、傾斜がついた部分を整形します。
屋根板は5mm厚の両端に3×10を接着して整形。しかし、よく写真を見ると深さが足りないようなので、さらに2mm厚を貼って整形中です。
床板は3mm厚から切り抜きました。
2月7日の現状です。前面は中央の窓だけ、外板との間に三日月のスペーサーを入れ、平面を出しています。隅柱はもっと大きいRのような気もしますが、削り代に余裕がないのでこのくらいにしておきます。
ということで、神戸出張のためブログは11日の夜まで放置されます。今日中にアクセスが66万になりそうですが、66絡みの記事も12日以降に持ち越しです。今回は少々レアもののネタも用意しています。
あっという間に1月も過ぎ、もう暦の上では春。2月になったら恒例の行事が控えています。わからん人はこのブログのバックナンバーで2月の分を読み返してください。まぁ、そんなに勿体つけるほどのものじゃありませんが、今年で23回目になる
鉄道模型とあそぼう@バンドー神戸青少年科学館
https://www.kobe-kagakukan.jp/event/article/94
今年は曜日の並びがよく、9・10・11日の連続した三日間、神戸のポートアイランドに通います。この催しは阪神・淡路大震災がきっかけになって始まったもので、23回目ともなると参加メンバーの高齢化も進み、3日間は少々シンドイという声も聞こえています。しかし、冬枯れの時期に3日間で1万4000人くらいを集客できるとなれば、主催者から見てこんなにオイシイ話はありません。
入館者が1万人越えたからって大入り袋が出るわけじゃないけど、子供達のこんな顔見てたら、もうちょい頑張らなアカンなという気になります。
ということで、私にとっては往きの行程をあれこれ考えるのが楽しみなのです。定番の夜行バスは金曜発だと一番高いし、前日の木曜でも三連休絡みなので少し高めの運賃になります。だったら8日を移動日にして、昼間のバスを使えばエコノミープランができそうと検討の結果、東京→名古屋は新東名スーパーライナー、名古屋→大阪は名神大阪線超特急の乗継ぎとしました。
わざわざ乗り継ぎとしたのは、この路線の方が東京~大阪の直行便より割引率が高いからで、早割を利用すると新東名は正規運賃5250円が3150円、名神は正規運賃3000円が1500円になります。新東名はもっと安い2400円というのもありますが、予約初日(1月7日)の10時にネットで申し込んだところ、操作エラーが出てやり直しているうちに売り切れてしまいました。
というわけで、今回は途中の寄り道なし。3日間みっちり働いてきます。
先月26日、原鉄の「西の蒸気機関車達」のオープンセレモニーに顔を出したあと、京急大師線に立ち寄ってみました。この線は全線地下化が計画されていましたが、その後の情勢の変化もあり、緊急を要する区間として東門前~小島新田間のみが着工され、3月3日に地下線へ切り替えられることになりました。というわけで、実際に歩いた順序とは関係なく、東門前から見ていきます。
「ひがしもんまえ」ではありません。川崎大師の門前(の東)という意味なのです。
となりの川崎大師に比べると、だいぶ質素な造りです。地下になるのは小島新田寄りの東門前第1踏切を過ぎてからなので、このホームは当分地上に残ります。
京急川崎行きが到着。踏切のすぐ先から地下に潜るようで、架線柱もすぐ取り外せるような構造になっています。電車の後ろに東門前第2踏切が見えています。
東門前第2踏切から見た東門前駅。ここは地下へのアプローチ区間(堀割)になります。
振り返って産業道路方向を見たところ。ここは大師線内で編成写真を撮れる貴重な場所でした。
この踏切は地下化切り替えに先立ち、2月11日から閉鎖されます。線路脇にある小学校の通学路になっているので、跨線橋ができる予定の9月頃まで、生徒は回り道になります。
通学路になっているせいか、車両は通れません。
小島新田行きに乗って産業道路に向かいます。横切っている高架が首都高横羽線、その下が産業道路(国道6号線)です。
駅の手前、東門前第3踏切から。同業者の姿がちらほら見受けられます。
駅名標。
工事中で駅の出入り口はわかりにくい。
来年の3月、駅名は大師橋に改称されると発表されたので、切符も買っておきました。環境が悪そうなイメージがあるということですが、それはちょっと考えすぎじゃないのかな。
駅のすぐ先が産業道路第1踏切。駅名改称に合わせて大師橋第1踏切になったら、なんとなくイメージが合わない気がします。
踏切の全景。遮断器は車道の3車線ずつと歩道用の計4組あります。
小島新田行きが到着。工事が始まってから踏切は単線になっています。
電車は昼間でも上下合わせて1時間に12本が通過。編成が4連と短いのがせめてもの救いです。
この写真ではトラックが少なめですが、時間帯によっては10トン以上のでかいトラックが列をなしています。
踏切を越えるとすぐ複線に戻ります。
小島新田の手前の踏切から。ちょうど電車のいるあたりからが地上区間で残ります。昼間の10分ヘッドでは、上り線(左側の線路)は使っていないようです。
昼間は産業道路~小島新田間が1閉塞になるので、到着した電車はすぐに折り返して発車します。
計画ではこのあと鈴木町~東門前間も地下化するようですが、完成はかなり先の話でしょう。そうなると大師線はますます写真が撮りにくくなってしまいます。
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