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2019年1月20日 (日)

正しい糸鋸の使い方

 前々回にちょっと話が出た糸鋸で窓抜きなどをするときに便利な補助道具(切抜き台 としておきます)はいつ頃から模型界で普及したのか。その参考になりそうな記事を紹介します。

P1176723いきなりもの凄い本が出てきました。昭和25年1月25日発行、版元は誠文堂新光社、著者は山北藤一郎、定価150円。なんてったって少年技師ハンドブックですから、読む時は斎戒沐浴して白装束をまとい
、正座して頁をめくらないといけません。

P1176722そのなかの糸鋸による窓抜きの記述。基本は切抜く板を万力に咥えて固定するとしています。平な台の上に置いて切るという技法にも触れていますが、切抜き台は出てきません。

P1176724こちらはTMS信者なら持っていて当たり前の1冊。昭和33年6月に初版が発行されていて、中身は昭和20年代後半に掲載された記事のダイジェストです。

P1176725そのなかの「工具はこれだけ欲しい」という章で、糸鋸の切抜き台が紹介されています。

P1176727文中では、板を万力に咥えてギコギコやっているのは物笑いのタネになるだけだと強調しています。半径25mmと26.5mmの同心円の隙間を1分半で切抜く、なんてのは技術コンテストの題材したらおもしろそうです。
*文章部分の画像はやや大きめにしてあるので、拡大すれば内容が読めると思います。

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コメント

少年鉄道技師には痺れました。
老年になっても全く技術の進歩が無い鉄爺ですから、今更斎戒沐浴してもなぁ〜笑

EF53のバックは(日本)アルプス?電機を作って山に登ろう!凄い本です。

Cedarさま、
戦前は鏨(たがね)で窓をぶち抜いていたのだから、それに比べれば糸鋸は画期的な技法だったのでしょう。今はパソコンで図面が描ければ模型ができてしまいます。

ぼっちぼちさま、
確かにいわれてみれば凄い絵です。昭和25年だと東海道本線の電化はせいぜい浜松くらいでしょう。

練馬の模型屋さんでアルバイトした時切り抜き台をバイスにくわえて
糸鋸を操作するのを体験し「目から鱗」の様でした。
バイスに板を直接くわえて切断は糸鋸の刃が何本あっても足りませんね。

今思えば、昔の中学生は難しい本を読んでいたものです。
やっぱり擦り切れるくらいに読んだのですね。
小生の通学かばんには、この手の「参考書」をいつも忍ばせていましたが、薄いので好都合でした。

ぬか屋さま、
練馬のバイトではいろいろと勉強させられました。バイスに咥えてというのはある程度の厚みがないと無理ですね。

OER3001さま、
私は学校にまでは持っていきませんでした。いつの時代でも基本は大切です。

表紙のEF53 2ですが、まだ生き残っているようですね。
凄い本に取り上げられただけあって、凄い生命力を発揮しています。

シグ鉄さま、
碓氷峠鉄道文化むらに保存されているやつですね。あそこにはEF59のままのもいますが、EF532はパンタがPS15になっています。EF59と交換すればよいのですが。

今の鋸刃は当時と比較にならない位切れます。
そのせいか、慣れれば幅0.5mmあれば抜けます。
いつもステップを差し込むスリットは0.5mmの穴を開けて広げます。
カーブを抜くのに左手で材料を回す!!たぶん刃が居れます。
なんかおおらかですね。^^

ヘボ職人さま、
この時代は糸鋸を使うこと自体が画期的だったのでしょう。今ならスリットを抜いたあとも糸鋸をヤスリ代わりにして仕上げたりします。

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