昭和47年の鶴見線、海芝浦で下車
鶴見線の海芝浦といえば、ホームから出られない駅として有名で、今でも時々ネタ切れしたライターが、いかにも知ったかぶりしてネットにアップしたりしています。ほとんどは請け売りの二番煎じで、恐らくご本人は現地に足を運んだことはなさそうなのが見え見え。一言いわせてもらえば、海芝浦なんてつい最近まで、平気でホームの外に出られたのです。論より証拠、昭和47(1972)年9月に撮影した画像をご覧ください。まずは扇町方面と海芝浦方面が分岐する浅野。扇町行きの後追いです。
浅野に進入する海芝浦からの鶴見行き。1枚目の写真の右手にカーブしていて、私が立っているホームは扇町からの鶴見行きと海芝浦行きが一緒になって扇形をしています。
海芝浦行きが到着したので、これに乗りました。
海芝浦に到着。午後ですが誰もいません。電車はクモハ、クハとも元31系です。
こんな注意書きがありました。岸壁に出ると海に落ちます、は国鉄の掲示。東芝は一般の立入り並びに魚釣等はできません、と書いてあります。しかし、駅員はいないし、東芝の守衛所なんかもありません。線路に沿って広い道路があるので、浅野方向に歩いてみました。
乗ってきた電車が折返していきます。左は東芝の工場で、奥のカーブしたあたりから線路が引き込まれていました。塀の中にシキ(形式不明)が留置されていましたが、残念ながら写真は撮っていません。
90度曲がってすぐのところが新芝浦。横断歩道に歩行者用信号があるから、ここは公道なのでしょう。
右に運河を見ながら歩きます。海芝浦行きが通過。今度は2両とも元30系。この頃は日中でも1時間に数本は海芝浦行きがあったようです。
浅野に近づくと怪しげな貨車が止まっていました。直通管どころか側ブレーキもないので、工場内専用なのでしょう。
また電車が来ました。4連になっています。左下の線路はNKK(日本鋼管)の工場に入っています。
今度はボギーのチキ。2両で台車が違います。
形式写真風に。
さらにもう1枚。台車が違うので都合3枚も撮ってしまいました。
浅野で1枚目の踏切を西側から。電車はクモハ11441です。
先ほどの4連が海芝浦から戻ってきました。この時の写真を見る限りでは、2連のクモハとクハは同形態(元30系、31系、50系)で揃っています。
ガスタンクをバックに扇町からの鶴見行き。退勤時間になったのか、そこそこ乗っています。
見慣れない貨車だったので1枚。カーバイト専用、昭和電工所有のホキ5600形です。
これは浜川崎でしょう。扇町行きの後追い。
ED1614。この形式で唯一のスノープラウ付きです。これで鶴見線の撮影は終了。
鶴見に戻ってきたら、時刻表に載っていない列車が来ました。新鶴見操車場の職員輸送に使われていたクモハ12013です。右端に専用のホームが見えています。
停車して職員が降りて来ました。
最後のコマは京急の品川。左の成田山号は平日には運転されないので、別の日の撮影と思われます。
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