昔のネガからー昭和40年1~3月
昔のネガの復刻シリーズ、昭和40年1~3月をご覧ください。私は大学2年生、カメラはレンジファインダー式で標準レンズ(50mm)の一本勝負です。小田急の本厚木、海側のバラスト積込み線に留置されているホキ300形。3連で両端は車掌室付きのホキフになっています。推進運転用の標識灯が付いていますが、前面の窓は申し訳程度の大きさです。
冬の日曜に運転されていた「猪電車」。確か伊勢原始発の上りのみで、停車駅は急行と同じでした。先頭の2217は空気バネ台車付き、車体、足回りは2220形と同じなのに2200形となっている異端車です。
同じ編成の後尾(クハ2476)。こちらはヘッドマークのデザインが違います。
一駅乗って厚木に移動。河原に通じる側線からC11が
トキトラ2両を牽いて戻ってきました。左隅の線路が相模線の本線です。小田急の下をくぐって厚木本屋に向かいます。小田急のホームは屋根がないし、ガードも貧弱です。
茅ヶ崎行きのキハ10。相模線の配置車両はキハ10、20、30、40と両運車ばかりでした。
別の日で南武線の宿河原~津田山あたり。まだ梨畑も残っています。編成は左から16-11+11(200)-17(100)-10-16の6連。
雪の日の新宿。総武緩行の三鷹行きです。千ツヌの旧型は2+6の8連で、画面左が79-72という変則的な付属編成です。
朝のラッシュが終わる頃、新宿止まりが何本かありました。このまま回送して中野入庫ですが、中野での降車確認作業を軽減するため、新宿で客扱い打切りとしたものです。
同じ日、京王井の頭線の1000系が三鷹台を発車したところ。
永福町~明大前。編成は左から1400-1350-1710+1800。1800は1400形の足回りを流用した1次車で、後に京王線に転用されています。
*この編成はサハ以外、すべて京王線に転用されている。左から1805-1259-1804-1258。デハは台車をディスクブレーキ付きのTS117に取替。クハはデハ1761・1762を電装解除、片運化したもの。電装品は京王線のデニ、デトの昇圧改造に転用されています。
3000系はこの時期、6本が在籍していました。まだデハの台車もパイオニア形です。
これは3月でしょう。新宿東口、ルミネ(当時は新宿ステーションビル、通称:駅ビル)の4階あたりのトイレ入り口から撮ったものです。13時過ぎの甲府行き普通列車が発車したところで、マヌ34が盛大に煙を上げています。次の客車はオロ42で、ジュラルミン製だったオロ40を軽量構造の試作構体に乗せ替えたもの。ノーシル・ノーヘッダーで浅い屋根が特徴でした。
小田急の大根(現在の東海大学前)付近を走るデキ1030形牽引の貨物列車。通学コースから少し寄り道して撮影しました。
同じ場所でHB車3連の普通。デハは1400形です。特急、急行、普通がそれぞれ30分に1本という、今からは信じられない列車密度でした。
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1965(昭和40)年のこの時期、小生はまだ中学2年生でした。鮮明に記憶している情景をありがとうございます。
小田急ABFM車のこの時期は、連結器がまだ密着自連のままで、ジャンパ栓だけ日本航空電子工業製の56芯に交換されていましたね。
ホキフ300、ホキ300、TOMIXのプラキットから製作しましたよ。
上げ足とるようで失礼ですが・・・
①C11が牽くのはトキではなくトラですね。
②新宿駅の写真ですが、この当時まだルミネはありません。「新宿ステーションビル」と言っていた時代ですが、そのトイレからの撮影、小生もしていますよ(笑)。
投稿: OER3001 | 2017年10月22日 (日) 23時58分
OER3001さま、
まだ新宿の西口は開発途上でした。小田急はこの頃が一番おもしろかったと思います。
厚木の貨物、ずっとトキだと思っていたけど、よく見ればちょっと短い。トラ55000のようですね。
調べてみるとルミネの開業は昭和51年。その頃からテナントの女性指向が強くなってきて、足を向ける機会も少なくなりました。
投稿: モハメイドペーパー | 2017年10月23日 (月) 10時24分
懐かしい風景、ありがとうございます。
おかげさまで幼稚園の頃、南武線沿線のどこか(これは覚えていない)に梨狩りに行ったことを思いだしました。
ところで、猪電車てのはどの様なコンセプトなのでしょうか?
猪突猛進で突っ走るから? それとも丹沢山系で猪鍋をつつこうってことですかね?
投稿: シグ鉄 | 2017年10月23日 (月) 13時30分
シク鉄さま、
昭和30年代には、向ヶ丘遊園と絡めた梨狩りクーポンなんかも発売されていました。
猪電車は七沢、広沢寺といった鄙びた温泉で猪鍋を食べようという季節ものの企画に合わせたものです。
投稿: モハメイドペーパー | 2017年10月23日 (月) 15時23分
何もない 田圃の中を行く 貨物列車 小生 この画像が大好きです 列車編成 トフの前は ワフに見えますが?
6両から7両の 貨物列車が 夜間の 向ケ丘遊園の 上り 4番線ホームで 通貨列車待ちで停車
先頭の機関車から 最後尾の トフか ワフまで ホーム上を歩いて 確認するのが 楽しみでした
投稿: ED1031 | 2021年7月 8日 (木) 22時30分
ED1031さま、
この時代の貨物列車としては標準的な長さです。どうかすると電機にトフ1両なんていう列車もありましたね。
投稿: モハメイドペーパー | 2021年7月 9日 (金) 12時08分
小生の 小学生時代 昭和20年代 小田急線 西生田(現読売ランド前)に居住しており 柿生寄り 読売ランド
入り口付近に 細王舎という 農機具製造の 工場があり 反対側が 高台で 俯瞰で 下を走る 貨物列車を
みるのが 楽しみでした 大きくカーブしており (細王舎 カーブ)と呼ばれていたようです
楽しみにしていた 貨物列車が デユニが 代用で2,3両の ワムを連ねて 通過 ガツカリしたものです
低学年時代 白線入りの 進駐軍専用電車が 一両で 走行していました
投稿: ED1031 | 2021年7月16日 (金) 10時56分
ED1031さま、
西生田から百合ヶ丘に向かうと左カーブで上り勾配ですね。私が大学に通い始めた昭和39年頃、江ノ島線の貨物列車がデユニ牽引でした。新原町田での折り返しはどういう手順で機回ししていたのか、確認しそこないました。進駐軍専用の白帯車、地元の中央線では見ていますが、小田急は知りません。デハ1100形だったそうですね。
投稿: モハメイドペーパー | 2021年7月16日 (金) 16時24分
進駐軍専用電車と 一般車との 内装の違いに 幼い小生も 矛盾を感じました 進駐軍専用車の 客室内は 薄
緑に塗装されて 座席モケツトも きれいな布で 覆われていたが 一般車は ガラスがなく 板張り 代用ガラス?
大人が そう呼んでいました 油紙か? 何かわかりません 座席のモケツトも 破れたり 継ぎ接ぎが多く 悲惨でした 当時は 電力事情も悪く 夜間 室内灯を消して走る 車両もありました 車両は デハ1100形でした
小生が 小学校 入学した 昭和23年には 状況も 少し 解消されました
投稿: ED1031 | 2021年7月21日 (水) 08時33分
ED1031さま、
昭和23年で小学校入学というと、私より4年先輩なのですね。地元の中央線ですが、ドアのガラスがほとんど板張りで、上の方に丸いガラスが申し訳程度に嵌められていたのは覚えています。
投稿: モハメイドペーパー | 2021年7月21日 (水) 12時47分