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2017年7月29日 (土)

昭和39年8月の小田急

 昭和39年は東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催されるという、結構節目になる年でした。私は大学に進学し、毎日、いやがおうでも(実際には大喜びで)小田急に100km以上乗ることになったのです。この写真を撮った8月16日は夏休みですが、学園オリンピックなどという行事が行われ、新聞部に所属していたため、その撮影に狩出されました。競技が早めに終わったのか、勝手にあとを端折ったのかは記憶にありませんが、ちょっと寄り道して15時過ぎには新松田の少し新宿寄りで小田急を撮影していたのです。
 標準レンズでのなんの捻りもない画像ですが、幸にも手元に当時のダイヤグラムがあるので、時間帯や列車番号などを検証してみましょう。

P5104125_2写真1  15:39頃、2022列車、特急「第2きんとき」。この頃の特急愛称名は「あしがら」「あしのこ」「きんとき」「はこね」「おとめ」の5種類でした。NSEは4本揃い、特急はほぼ30分ごと、新宿~小田原間62分と最速を記録しています。NSEは前面の愛称表示がホームベース形、屋根上のクーラーもないすっきりしたスタイルです。

P5104126_2写真2  15:41頃、2707D、特別準急「長尾」。御殿場直通の気動車で御殿場線内の列車種別は準急でした。写真右がキハ5100形、左がキハ5000形で、平日は大抵1両で走っていました。新宿から松田まで無停車、新宿を特急の1分あとに出ますが、向ヶ丘遊園からの勾配でスジが寝てしまい、4分後に出る急行に尻をせっつかれます。

P5104127_2写真3  15:44頃、急行39列車、運用記号39。箱根湯本行き急行のHE車で、新宿を出る時は6連。相模大野切り離された後ろ2両は各停の小田原行きになります。暑い盛りなので窓は見事に全開、カーテンが風圧でバタついている様子がわかります。

P5104128_2写真4  15:52頃、普通7264列車、運用記号M。2200形2連の普通相模大野行き。ただし、7200代の列車番号は新宿~相模大野間を急行に併結する本線普通列車を意味します。相模大野以西の急行が止まらない駅の乗客にとっては、乗換えなしで新宿まで直通する便利な列車です。

P5104130_2写真5  15:58頃、回送回66B列車、運用記号ST。1600形の4連で小田原まで回送後、折返して急行66列車になります。本来ならHEなどの高性能車が充当されるスジですが、夏ダイヤで江ノ島急行に車両を回すため、ABFも急行に狩り出されます。

P5104131_2写真6  帰りに乗った新松田始発の2602列車「丹沢号」、運用記号PW。大秦野で特急「第3きんとき」を待避します。「丹沢号」は土曜の夜に下り2本、休日の夕方に上り5本が運転され、停車駅は新松田、渋沢、大秦野、本厚木、向ヶ丘遊園、新宿と少ないことから特殊急行と区別されます。ただし、ヘッドマークは付いても種別表示はありません。
 写真の手前は空気バネ台車のクハ1651ですが、本厚木~向ヶ丘遊園間無停車のモーター音を楽しむため、となりのデハに乗ったのはいうまでもありません。

P7295091_2昭和39年7月5日から8月23日までの夏ダイヤ。緑字が休日用で、裏面の平日用は青字です。

P7295089_3運用記号の内訳。これが小田急ファンは最も興味深いところです。A~Mの2200形2連には、2220、2300、2320形も含まれます。N~WのABF2連は1600形が原則、ただし10運用では予備なしなので、2100形や1911~1914編成をバラしてこれに回すこともあります。3連が基本だったHBも、この頃はほぼ半数が4連になっています。

P7295092_2新松田付近を拡大しました。横線は上からオ=相模大野、ホ=本厚木、ハ=大秦野、松=新松田、→の縦線が16時です。青でマークしたところが撮影した列車、青丸が大秦野の特急待避場面です。この画像は少し大きめにしてあります。 

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コメント

なんとも貴重な写真と資料ですね。折しもOER3001氏がブログで当時の塗色の1600系を発表され、共作ブログのようです。

モハメイドペーパーさま、小生にはとんでもなく懐かしいレポートです。この頃の小田急は、特急ロマンスカー2車種、ディーゼルカー、HB車、ABF車、1800形、カルダン車、電機の貨物、荷電と、様々な車種が走る魅力に満ちていましたね。
折しも1651の丹沢号の姿、最高です。

ぼっちぼちさま、
この時代は小田急に限らず、本社の運転関係部門(小田急では計画課)に行けば、ほぼ無条件でダイヤグラムは貰えました。いずれ、ダイヤグラム関連のネタもアップします。

OER3001さま、
小田急はこの頃が一番おもしろい時代だったと思います。現場は車両の遣り繰りで大変だったと聞いていますが。

大秦野での待避シーン、NSEの低さが際立ちますね。
この低さはLSEでは無くなってしまうので、やはり走行シーンはNSEの方が、特急らしい美しさがあります。
相模大野から西は、一般車でもタバコが吸えた時代、みんな床でグリグリ消してそのままポイでした。

今でも小田急の急行といえばHE+2200系列を6連です。
ダイヤを見ると伊勢原での待避が結構多かったんですね。

赤影さま、
低重心はNSEまでで、以後、20000形まで足回りの進歩はありません。私が通学している頃、町田を出るともうタバコを咥え、相模大野~というアナウンスで一斉に火を付けていました。

Cedarさま、
伊勢原と大秦野は折り返しが少ないので、待避には有効に使われていたようです。それにしても、普通の本数が少ないです。

本厚木ー新松田間、この頃は急行が急行していたんですかね。私が初めて乗った時は既に急行は鈍行でした。

シグ鉄さま、
新宿~小田原間の急行停車駅は、下北沢、向ヶ丘遊園、新原町田、相模大野、本厚木、伊勢原、鶴巻温泉、大秦野、渋沢、新松田。表定速度は60km/hを少し越えていました。

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