北勢線、全駅の記録
数少ない電化ナローの北勢線は、三重交通→近鉄を経て現在は三岐鉄道の路線になっています。三岐鉄道では車両や施設の改良とともに、駅の統廃合も行われました。
今回ご覧いただくのは、近鉄時代の1977(昭和52)年2月の撮影で、まだ三重交通時代の車両が活躍し、終点では電動車の付替えを行っていました。阿下喜からの帰り道、最後尾の座席に座ったので、そこから走り去る各駅を撮影したものです。当時は起点、終点を含めて17の駅があり、三岐鉄道になってから4駅が廃止、3駅が駅名を改称し、一部は移転しています。
阿下喜(あげき)。これは車内からではありません。モニ225が機回しをしてトレーラーに連結したところです。
六石[廃止]。かつては交換設備があったようです。駅員はいません。ホームの有効長は3連くらいなので、朝の5連ははみ出します。
麻生田(おうだ)。ここも交換設備があったようです。
上笠田[廃止](1)。阿下喜行きと交換します。タブレット交換のためか、交換駅は右側通行です。
上笠田(2)。員弁川に近く、周囲はだいぶ開けています。
楚原。側線も1本ある交換駅ですが、よく見ると画面中央のホームは短くて低い。レールも錆びていて、ここでの交換は行われていないようです。
長宮[廃止]。最小限の設備ながら、ホームは鉄骨のしっかりした造りです。
大泉東→大泉。中央の側線に貨車が留置されています。左側が駅本屋のようです。現在も交換駅ですが側線は撤去され、大泉と改称。
現在の大泉。2005年8月の撮影。レールは40kg、バラストもたっぷり撒かれています。
北大社(きたおおやしろ)[廃止](1)。当時は車庫が西桑名にあり、駅前の区画整理のため、新しい車庫を北大社に建設する工事が始まっていました。
北大社(2)。画面左に組立てられたポイントが見えます。
北大社(3)。西桑名方面の乗り場は仮ホームになっています。
北大社(4)。左の建物は変電所。車庫ができ、周囲にそこそこの集落もあるのに、三岐鉄道になって廃止されたのは意外でした。
六把野(ろっぱの)→東員。阪Sさまが仕事で通われたことがあるという駅。現在は少し北大社寄りに移転し、東員と改称しています。
現在の東員。駅前広場が整備され、路線バスも発着します。
穴太(あのう)。ホームの端がだいぶ朽ち果てていますが、駅員は常駐しているようでした。
七和(ななわ)。私が初めて北勢線で下車したのがこの駅だったはず。
坂井橋→星川。周囲がそこそこ市街地らしくなってきて、桑名に出るバスの便もあります。七和寄りに移転して星川に改称。
在良(ありよし)。道路とアンダークロスしています。
蓮花寺。だいぶ家が建て込んできたが、ホームの脇には農地もあります。
西別所。
馬道。駅本屋はかなり立派です。
西桑名を発車した阿下喜行き。当時の西桑名は現在の駅の手前をほぼ90度カーブした位置にありました。バックはまだ盛業中だった桑栄メイト。
先端がカーブにかかっている西桑名のホーム。列車を据付けてから改札するシステムで、大勢の乗客が待機しています。
当時の駅舎。
カーブの内側が車庫になっていました。
*この年の5月に西桑名の駅は現在の位置に移り、北大社の車庫が開設されました。
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