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2017年1月に作成された記事

2017年1月30日 (月)

静養中

 土曜(28日)の午後から体調がいまひとつ優れず、日曜は喉も痛くなってきました。手持ちの風邪薬を飲んでもあまり効果はなく、今日、医者に行って来ました。診断の結果は「インフルエンザのA型です」。えぇ、去年の秋に予防接種もしたのに、といってもかかってしまったものは仕方ありません。
 熱は今朝の起きがけが38度7分、今は少し下がったけど、まだ38度あります。でも、体感としてこの7分の差は大きいです。薬は5日分出ているので、じっくり静養すれば今週中には治まるでしょう。来週末は神戸で「鉄道模型とあそぼう」があるので、それに備えて体調を整えておきます。

Dscf4193薬はタミフルというやつ。副作用がどうこうといっても、インフルエンザにはこれしかないようです。

2017年1月28日 (土)

ちょいと脇道に

 寒波に対抗してハンダ鏝の出番が増えていますが、本命のEF65はまだ今年に入って手付かずで、ちょいと脇道に嵌まり込んでいます。

Dscf4082そのものズバリの電車キット。見てのとおり、だいぶ年代物です。ちょい訳ありで、某所からもう5・6年前(もっと前かも)、私の手元に横滑りしてきました。

Dscf4089中身はこんな具合。側板と妻板は真鍮、屋根と床は木、あとは車体取付用らしいブツ切りのアングルが2・3個入っていました。これはひととおりのハンダ付けが終わった状態で、一部欠品していた窓枠や扉は、現物合わせで作っています。

Dscf4141板厚は0.5mm。補強と床板、屋根板の取付を兼ね、裾は1.5×5、幕板は1×3の帯板をハンダ付けしました。ところでこの形式、扉間の窓が5個だからモハ41、あるいはシル・ヘッダー用の帯材が入っていないから、モハ60の初期タイプなのかも知れません。作る手間としてはノーシル・ノーヘッダーのモハ60の方が楽なのですが、そうするには大きな矛盾点があります。

Dscf4187問題はこの扉。これは軽合金製なので、昭和9~12年度の新製車に限られます。さらに前面半流となれば11・12年度製ですが、12年度製のモハ41は張上げ屋根なので、キットの木製屋根では工作上の問題あり。となると該当するのは昭和11年度製のモハ41か、昭和11・12年度製のクハ55のいずれかとなります。
 いっそのこと扉をプレス製に換え、レイバンズの飯田線シリーズに加えようかとも思ったのですが、窓高さが1.5mmほど大きく、逆に幕板は1mmほど狭いので、この案は却下。

Dscf4183なんとか軽合金扉を生かせる形式はないかと考えていた時、目に付いたのがこれ。関西で代用急電に使われていたクハ68078です。元は昭和11年製のクハ55039で、昭和29年でも扉、ベンチレーターなどほぼ新製時のスタイルを維持している。これこれ、こいつでいきましょう。
 でも、「急電は5両やろ。あとの4両はどないすんねん」といわれそうですが、もともと半端な1両ですから編成は考えません。これは1両単独のディスプレイモデルとします。

Dscf4118車号が特定できたら前面を加工します。運行灯とベンチレーターの穴をあけました。

Dscf4121一晩じっくり考えて作戦変更。一度穴を塞ぎ、運行窓は縁を残して切り抜き、ベンチレーターは0.8×1.1の帯板を4本並べてハンダ付けします。

Dscf4125それらしくなりました。尾灯は取付け式なので穴はあけません。

Dscf4126ベンチレーターのアップ。スリットの帯は上が半丸、下は直角ですが、ちょっと仕上がりが甘い。まぁ、1m以上離れればそんなにアラは目立ちません。

Dscf4185a幌枠はなかなかの曲者です。飯田線の旧国でも幌枠が細いのと太いのの2タイプがありました。これは細いタイプで、幌を直付けします。この車両にはないけど、貫通扉の上には収納した幌を引っ掛ける角みたいな金具があります。関西では下り向きの先頭車がこのタイプです。

Dscf4185b上り向き先頭車は幌枠の当て座となるので単純な帯板ではなくアングル状になっています。そのため正面からは幌枠が太く見えます。幌を取り込まないので、扉上の角もありません。
*上の写真2点はRM LIBRARY 60 美しき半流国電(ネコ・パブリッシング発行)から転載。

Dscf4171下り向き先頭の幌のない幌枠をどう作ればよいか。まず右の真鍮板で外形のゲージを作り、1mmのアルミ板を切り抜きました。この内側に嵌め込むように0.5×2の帯板を曲げようとしたのですが、意外と腰が強くて曲げにくい。そこでゲージの板を外形寸法より1mm小さくヤスり、その外周に沿ってハンダを点付けして長さを調整。外してから縦の直線部分の膨らみを修正し、なんとか所定の寸法に仕上げました。

Dscf4182さらに横の部分は妻のアールに合わせてヤスってからハンダ付け。上の大きいアールもまぁまぁです。

Dscf4177斜め横から。出っ張り加減もこんなところでしょう。次は箱に組んで、シル・ヘッダー、雨樋貼りです。今のレベルから見れば大雑把なキットなので、ディテールもほどほどにと思うものの、ついつい旧国は深味に嵌まってしまいます。

2017年1月26日 (木)

スキャン、それとも複写?

 若い頃から撮りまくった写真も、半世紀くらいたつとネガに黴が生えたり、ストローみたいに丸まって(ビネガーシンドローム)修復ができなくなります。そこで、スキャナーで読み込み、デジタルデータに変換すれば半永久的に保存できる(はず)。そう思って私も数年前にスキャナーを買いました。

Dscf4002専用のフィルムスキャナーは高価で、現在は一般用の製品はありません。でも今は技術の進歩で、本来は紙焼き用のフラットベッドスキャナーでもネガのスキャンができるようになりました。というのがメーカーの宣伝文句です。
 で、実際に使ってみると、読取り精度を最高の9800dpiに設定すると「ファイルの容量が大きくなりすぎます」という警告が出るので、1段下げた4800dpiでスキャンしています。

Img_0024しかし、スキャンした画像は必ずしも満足できるレベルではありません。おまけに1コマを読取るのに1分以上かかるので、36枚撮り1本だと最低でも1時間はかかってしまいます。ブログでお馴染みの方の画像を見るとかなりの解像度なので、私のやり方が悪いのか。試行錯誤を続けているものの、例え結果がよくなったとしても、時間が掛かりすぎます。
 そこで思いついたのが、スキャンではなくカメラで複写してしまうという方法。これはプロカメラマンの諸河久氏がすでに実践していて、ネガから引伸ばしたのと変わらないプリントを生み出しています。私が真似しても同じ結果が出るという保証はないけど、試しにやってみる価値はありそうです。

P1103696その昔の一眼レフにはスライドをコピーするためのベローズなんかがありました。今でも中古で手に入るけど、結構いい値段なのでいきなりのお試しには向きません。まずは手持ちのカメラでどの程度に撮れるのか、マウントに入ったポジを南向きのガラス窓にセロテープで仮止めして撮影してみました。

P1103699ガラスの汚れは目を瞑り、画像の部分を拡大してみると、そこそこの解像度はありそうです。

P1103708ならばと均等に光を当てるため、蛍光灯スタンドに仮止めしてみます。

P1113719拡大してみると、スキャンしたのよりよさそう。こうなると均等な照度が得られる光源が欲しい。そこで思い浮かぶのは、かつて仕事で使ったカラーボックス。通称「あんどん」といってたやつです。ネットで調べるとまだ製品は出回っているようです。

Dscf4062早速ヨドバシで買ってきました。お値段7710円。貯まったポイントを使い、実質的な出費は3000円台でした。大きさは4×5(しのご)用、ハガキより縦が少し短いくらいの寸法です。

Dscf4064光源はLED、単四電池3本で連続3時間、LED自体の寿命は約5万時間となっています。そのうち秋葉原で電圧の合うACアダプターを買ってこよう。昔のは光源が蛍光灯だったので細かいちらつきがあり、長いこと使っていると結構目が疲れました。今時のはちらつきも発信音もなく、薄くて軽い。

Dscf4065手持ちでは不安定なので三脚にセットします。カメラの水平は目分量ですが、まぁそんなに外れてはいないでしょう。レンズの最短距離(25cm)より少し短めの位置にライトボックスを置き、三脚のエレベーターで最も寄れる位置(高さ)を調整します。

P1113718マクロ機能はないので、一番寄ってもマウントの縦方向がほぼ画面いっぱいになるくらい。面積からいったらセンサーの大きさの60%くらいしか使っていません。露出は絞り優先(f8)のカメラ任せですが、特に問題はないようです。

Dscf4073サブに使っているコンデジはマクロ機能があるので、もっと大きな倍率で撮影できます。仕上がり画面の画素数はこちらの方が多いと思われます(センサーの大きさは無視する)。

Dscf4077モノクロネガも試してみます。引伸し器のネガキャリアが役に立ちました。

Dscf4076画像処理ソフトで反転します。外からの光で色カブリしてますが、解像度は問題ありません。

 以上、簡単なテストですが、この方法はアマチュアレベルでも実用価値は十分にあると思います。なんといっても処理速度が格段に違います。一度セットすれば、36枚を複写するのに10分もかからないでしょう。撮影倍率を上げるには接写リングという手もありますが、やはりマクロレンズを使うのが王道です。こうなるとOM用のマクロレンズを処分してしまったのが惜しまれます。しかし、オリンパスからは昨年秋に30mm/F3.5のマクロレンズが発売になっていて、実売価格はフジヤカメラで27,500円。用途から地味なレンズだけど、某写真家の紹介では「迷ったら買っておいて損のないレンズ」と評されています。恐らく年内には迷わずお買い上げとなるでしょう。

2017年1月23日 (月)

地下鉄博物館に行ってみた

 昨年の12月9日、天気は晴れ。それに誘われたわけではないけど、ふと思い立って地下鉄博物館に行って来ました。

Pc093377地下鉄博物館は東西線葛西の高架下にあるので、タイミングがよければ高円寺から乗換えなしで行けます。

Pc093286改札を出で環7を渡った所が入り口。入館料は大人210円です。

Pc093288もう開館してから30年だそうです。一度行ったきりで、リニューアルされてからは初めてです。

Pc093289入り口から左に進むと、300形301号が鎮座しています。

Pc093297車内も見学できます。デビュー当時は吊り手がリコ式で、荷物棚は戸袋窓の所だけでした。なんていう蘊蓄はさておき、ここに来た目的は天井のファンデリアのちゃんとした写真を撮りたかったから。
 というのは3日前、方南町に残る?なもの を見てきて、ブログにアップするには車両に装備されている状態の写真が欲しい。500形の車内写真はあるものの、広告に邪魔されて肝心のファンデリアが見えません。しかし、今時ファンデリアが残っている車両なんてないよなぁと思案している時、そうだ、地下鉄博物館には300形の現物がある、と思いついたのです。幸いなことに平日なので来館者は少なく、所期の目的は達成できましたが、せっかく来たのだからほかの展示物も見て回ります。

Pc093296300形の運転台。ブレーキハンドルは真鍮製で、ストレートな丸棒のような形でした。左側のパイロットランプはノッチの進みやブレーキで黄色とか緑が点灯し、子供心になにか凄い仕掛けがありそうな気がしました。

Pc093306前照灯のアップ。電球の取付け方は都電の6000形なんかと同じです。

Pc093320となりには東京地下鉄道の1000形がいます。

Pc093323台車は新製時のD18(日車)になっています。この台車は戦後に取換えられ、一部は京王帝都電鉄のデハ2700形1次車に転用されました。車体の黄色はいつ頃の色なのか。銀座線の末期はもっと赤みが強い感じでした。

Pc093308車内はリコ式吊り手、間接照明の灯具など、ほぼ原型に近い状態です。

Pc093315運転室が片隅式なので、車掌は最後部の客室扉が定位置でした。発車の時はまず他ノ戸を閉め、ホームを確認してから此ノ戸を閉めます。

Pc093336反対側に進むと東京高速鉄道100形のカットボディーと台車があります。

Pc093338100形の運転台からマスコンを操作するとモーターが回転し、ブレーキも作動します。アルストム式だけど吊掛式なので、おそらく1800形の台車でしょう。無負荷でもなかなかいい音がします。

Pc093335モーターのカットモデル。左が300形、右が1000形のもので、だいぶ大きさが違います。

Pc093358これは最近になって展示されました。実車は2016年2月8日付けで廃車になっています。

Pc09337516番の運転ジオラマ。線区ごとの複線エンドレスがあります。

Pc093365コントロールボード。オペーレーターが出発ボタンを押すと、全自動で各列車が車庫から出てエンドレスを回り、折り返して入庫します。
 このほか、本物の6000系の運転台を使ったシミュレーターもあり、半日くらいは十分楽しめます。

2017年1月21日 (土)

そば三題

 ちょいと息抜きのそばネタです。私鉄系ではないけど「ゆで太郎」が結構評判が高い。調べてみると店舗は中央区、千代田区、港区、品川区などに多く、私の日常の行動範囲にあるのは代々木駅東口店くらいです。ここなら定期の範囲なので、12月に行ってみました。

Dscf3932店は代々木駅東口から歩いて数分の所にあります。自家製麺がウリで、メニューは丼やカレーなどとのセットが多い。ここもそうですが、大半の店でちょい呑みができます。

Dscf3931定番のかき揚げそばはお値段420円。箱根そばみたいにワカメが付いています。かき揚げは見てのとおり玉葱が大部分で、大きさの割に少し物足りない感じがします。そばはやや細めで歯ごたえはそこそこ。つゆもクセがなく、万人向き。これで値段が400円を切っていれば、かなりお薦めのレベルといえます。

Dscf4034これは箱根そばのちくわ天そば。ちくわは縦割り1/2本です。お値段はかき揚げと同じ390円なので、コスパは高い。かき揚げより栄養バランスもよさそうです。

Dscf411418日、原鉄道模型博物館に行ったついでに京急を撮影していたら、ホームでこんなポスターを発見。ちょうど腹も減ったので試食してみました。

Dscf4113これです。鳥唐揚げはポスターほどではないにしても、一口では食べきれない大きさのが3個、それに鳥そぼろと錦糸たまごが付いて490円は、かなりお値打ち感があります。唐揚げも作り置きではないし、かき揚げよりはるかに腹持ちします。ただしこの鶏三昧、キャンペーン期間中の特別メニューなんで、食べられるのは2月28日までです。これはぜひレギュラーメニューに加えて欲しい。
*えきめんやは京浜間では品川、川崎、横浜しかなく、いずれも立ち席主体なのが難点。椅子席の京急鶴見店は高架の耐震工事のため休業しています。

2017年1月19日 (木)

横浜にこんなものが

 横浜三井ビルといったら、2階に原鉄道模型博物館がある、あのビルです。昨日(18日)の9時半頃、そのビルの入り口前に来てみると。

Dscf4099青いシートを被った物体が置かれていました。

Dscf4100なにやら説明板もあります。

Dscf410610時15分頃、ビルの中から出てきた一団がこの前に集まりました。綱引きが始まるのか。

Dscf4108せぇの~。うまくシートが外れました。

Dscf4111出てきたのは小さな車両。パンタグラフがないから気動車のようです。実はこれ、18日から原鉄道模型博物館で開催されている「台湾の軽便鉄道展」の呼び物で、レプリカではなく実際に台湾糖業股份有限公司で巡回車として使われていた本物です。

P1183794ゲージは762mm。標準軌の約半分なので、現地では五分車と呼ばれているそうです。長さはせいぜい5m弱くらいでしょう。

P1183793定員12人、自重2トンです。

P1183787一応、連結器も付いています。

P1183790エンジン。この大きさだからガソリンエンジンでしょう。

P1183791こちらが駆動軸。軸バネは1段リンク式です。

P1183795車内に入ってみます。椅子は木の板1枚。室内灯は2箇所。扉は進行方向の左前方にあり、左右点対称の配置。運転台はどこだ?

P1183796車内のほぼ真ん中に変速レバー、クラッチとアクセルペダル、サイドブレーキ、ハンドブレーキがあります。つまり、ここらへんが運転席。入換え用のDLみたいに横向きで運転するようです。

P1183799ハンドブレーキ側から。

P1183801メーターパネル。右上は回転計、左のつまみはライト関係か。それにしては数が多い。

 台湾の軽便鉄道展は3月13日まで開催。この巡回車を見るだけなら入館料は必要ありません。土曜、日曜の10:30~13:30は車内が見学できます。

2017年1月16日 (月)

西武鉄道安比奈線を歩く(その2)

 いよいよ核心に迫ります。

P1133730場所を特定しやすいよう、地図はもう一度載せておきます。線路は入間川の右岸に達し、終点付近の地名が安比奈新田。線名はこれに由来します。ただし、地名は「あいな」、線名は「あひな」です。

Pc213492G地点は雑木林の入り口。落ち葉に覆われていますが、線路は矢印の方向に伸びています。

Pc213495半世紀の間に樹木が生長し、建築限界をオーバーしています。

Pc213498H地点。池部用水橋という10mくらいのガーダー橋で、下の用水は干上がっています。2009年にこのあたりがNHKのドラマ「つばさ」のロケに使われ、木製の手摺りはその時に取り付けられたとのこと。レール部分にはゴムシートも敷かれていますが、下の枕木が朽ちているので、不用意に歩くと踏み抜く恐れがあります。2009年以前のレポートを見ると、用水はかなり汚い水が溜まっていたようです。

Pc213501だいぶ入間川に近づいてきました。レールはこの先で緩く左にカーブして、八瀬大橋に突き当たります。

Pc213502入間川を渡る八瀬大橋。

Pc213504I地点は橋の上、厳密には取付道路の部分になり、線路はここで切れています。橋ができた当時はまだ線路はつながっていて、取付道路の位置変更により、どーせ使っていないんだからと、邪魔になる部分が撤去されました。

Pc213506上と同じ位置からJ地点方向を見る。赤線のように線路が続いているのが確認できます。

Pc213507橋の途中からは河原に降りられないので、南側を大回りしました。このあたりは西武建材の用地らしく、時折ダンプカーが出入りしています。一応、立入り禁止の立て札はありますが、ダメモトで行ける所まで進んでみます。

Pc213508一見、線路跡みたいだけど、これは×。橋の向こうからの位置が合いません。

Pc213511さらに歩くこと数分で線路を発見。地図のK地点から八瀬大橋方向を見ています。

Pc213512橋の方に戻って、K地点とJ地点の中間。右側はモトクロスの練習場になっています。

Pc213513上の位置から振り向いてK地点方向を見る。前方を水道管の橋が横切っています。

Pc213540橋の袂のJ地点。線路を辿っていれば、橋の下をくぐってこちら側に来られたようです。

Pc213515Kの地点からL地点方向を見る。線路は真っ直ぐ竹藪に向かっています。

Pc213517L地点に近づきました。

Pc213520草に埋もれたポイントを発見。しかし、二股に分かれた先に大きな木が。50年あまりでこんなに成長するのだろうか。

Pc213523竹藪を迂回した先がM地点。幅の揃い架線柱が2基残っていました。このあたりから砂利積込みの線路が広がっていたのでしょう。記録によれば機関車はED14が入っていたそうです。

Pc213525その先にひとつだけ、コンクリートの橋台のようなものが残っていました。

Dscf4081この写真はネコ・パブリッシング発行のRM LIBRARY 30 所沢車輌工場ものがたり(上)から転載しました。採取した砂利は600mmゲージのトロッコで運び、ここで安比奈線の貨車に積み替えていました。橋台らしきものはおそらく写真の赤丸部分なのだと思われます。

Pc213526その先もまだ架線柱が残っていますが、草ぼうぼうで近づくのは無理。

Pc213529この付近は地面の凹凸が激しく、レールはほんの一部しか確認できません。

Pc213533再び藪が広がるN地点。架線柱が木に同化しています。この先にそれらしいものは見当たらないので、探索はここまでとします。南大塚から歩き始めて約1時間50分。線路のキロ程は3.2kmですが、迂回したり行きつ戻りつしたりでその倍近くは歩いているでしょう。

Pc213547その1で出し忘れた写真。架線柱のアップです。普通はアングル2本を合わせて柱を挟むようにするのですが、これはアングルが1本。簡素化の極地です。

Pc213541これから現地を歩いてみようと思う方へ。
1.履き物はスニーカー、トレッキングシューズなどに限る。革靴、サンダルなどは絶対に無理。
2.D地点から先、商店はおろか道端に飲み物の自販機すらありません。この時期でも最小限の飲み物は用意した方がよいでしょう。
3.八瀬大橋付近まで行ける路線バスはないようです。流しのタクシーもまず見つかりません。帰りも自分の足で歩くことを覚悟してください。
4.夏になると草が生い茂り、線路跡は非常に歩きにくくなります。行くなら春先までがよいでしょう。
5.八瀬大橋南の交差点角に写真の「武蔵野うどん」があります。私も帰りにここで腹ごしらえしました。味はまぁ及第点です。200円で天麩羅各種食べ放題というドリンクバーみたいなメニューがあるので、素うどん(400円)にこれの組合わせるのが一番賢い食べ方です。

2017年1月14日 (土)

西武鉄道安比奈線を歩く(その1)

  西武鉄道にはもう半世紀以上も休止のままになっている路線があります。といえばちょっと訳知りの方なら「ああ、あれか」と思い当たるでしょう。そのあれとは、新宿線の南大塚から分岐している
       安比奈線  なのです。
 安比奈線は入間川で採取した砂利を運ぶため1925(大正14)年2月に開業し、1963(昭和38)年に休止となっています(砂利採取が禁止されたのは1967年なので、それまで営業していたという説もあり)。しかし、将来の車両増加を見越し、終点付近に車両基地を作る計画があったために廃止とはならず、現在に至るまで「休止」となっています。
 なかば忘れ去られた安比奈線ですが、昨年2月、西武鉄道は安比奈の車両基地建設計画を中止すると発表。こうなると安比奈線を存続させる意義はありません。ウィキペディアでは早々に「休止期限が切れる11月30日付けで廃止された」と書き換えられています。
 だが、しかし。西武鉄道の発表はあくまで車両基地建設計画の中止であり、安比奈線の廃止については一言も触れていません。2月以降のニュースリリースを見ても、安比奈線を廃止しましたという項目は確認できていません。まぁ、正式な廃止は時間の問題と思いますが、このブログではまだ休止中という扱いにしています。
 ということで、正式な廃止になる前に現状を見ておこうと、12月21日、野方から新宿線に乗り、現地へと向かいました。

P1133730まずは安比奈線の概略から。図はちゃんとした地図をトレースしているので、方位、距離はほぼ正確です。右下が西武新宿線の南大塚、左上が入間川で、赤線が安比奈線。〇囲みのABCD~Nは写真の撮影位置を示し(文字が細くて見にくいですが、少し拡大できます)、緑の部分は雑木林です。

Pc213443南大塚到着。次は終点の本川越です。

Pc213448橋上駅の通路から本川越方向を見たところ。右端が新宿線、安比奈線は左にカーブして赤線のように線路が続いています。

Pc213449駅前の案内板には安比奈線が書き込まれています。×が終点と思われる所。左上の〇囲みが入間川を渡る八瀬大橋です。

Pc213441下りホームから見たところ。右側の広がった部分は留置線だったのか。

Pc213456上の写真の道路から。架線柱は片持ちの木柱(右側)で、老朽化で倒れるのを防ぐため、左側にコンクリートの柱を建てて支えています。

Pc213454同じ位置から駅方向を見る。ここに見えているレールは本来の安比奈線にはつながりません。保線用の資材置き場などとして使われていたのだろうか。

Pc213458A~B地点の中間あたり。だんだん線路敷が狭くなる。

Pc213460B地点で国道16号線を横切る。

Pc21346316号線から南大塚方向を振り返る。

Pc213465C地点手前で入間川街道と交差。16号線からC地点方向を見る。この先しばらくは架線の名残が見られる。

Pc213467C地点のあたり。線路敷は複線分のように見える。

Pc213470線路内は一部が畑になっている。「耕作するな」という立て札はない。

Pc213471D地点まで来るとだいぶ周囲が開けてくる。市街地らしいのはこのあたりまで。線路は入間川の手前までほぼ直線が続く。

Pc213472水路を2本跨ぐ。右が赤間川で幅は狭いが水深はそこそこある。*地図は手前の橋が川からずれています。

Pc213473枕木は見事に朽ち果てている。ここを渡るのは止めておいた方がよさそう。

Pc213556次の橋梁は2連のガーダー。奥に方に細い水路があるが、昔はもっと川幅があったのかも知れない。

Pc213478D~E地点の中間あたり。踏切部分に一応の柵はあるが、線路内へは自由に出入りできる(本当はダメなのか)。

Pc213479上の写真の踏切を渡った先。レールはかなり落ち葉で埋まっている。本来の木製架線柱は朽ち果てたのか、コンクリートの柱だけが建っている。

Pc213480細い水路を渡る。このくらいの幅だと、もともと桁はなかったのだろうか。

Pc213484E地点は架線柱がなく、最も周囲が開けている。線路は枯れ草に隠れているが、境界標でその存在がわかる。

Pc213489F地点は道路が並行する。赤囲みはレールの上に角材を渡し、踏切代わりになっている。

Pc213546同じ位置を反対側から。雰囲気が名鉄美濃町線の上芥見付近と似ている。
*その2に続く。

2017年1月12日 (木)

東武鉄道、事業用車の色いろいろ

 事業用車というタイトルですが、実際にはマルタイやレール運搬用のモーターカーなどのことで、大体どこの鉄道会社でも車両ではなく機械扱いになっています。この手の車両(表現がややこしくなるので、便宜的に車両としておく)はどちらかといえば地味な色が多く、せいぜい黄色系統の警戒色が入っているくらいです。ところが、東武鉄道の場合は特に決まった色がないようで、これは〇〇系に似てるな、という塗色がいくつか見られます。

P9025371黄色は警戒色として妥当な選択でしょう。後ろのレール運搬用車はグレー系で、これも無難な色といえます。

P7083411これは誰が見ても8000系の配色です。

P7083412何の用途なんだろうか。

Pb183126本家のスペーシアにこの色はなくなっているので、オリジナル塗色を偲ぶ貴重な存在。

P9025375ステンレスの10000系、20000系、30000系を意識しているのでしょう。

P609539450090系と同じ配色。こうして見ると、その時々の代表的車両に合わせているようです。どうも東武鉄道は色を統一しようという意識が薄いようで、駅ホームの柱なんかもさまざまな配色が見られます。

2017年1月 9日 (月)

千葉から神奈川、模型例会をハシゴする

 8日は私が所属する日本0番鉄道クラブ(JORC)の例会。8時半過ぎに家を出て、東西線、総武線、京成を乗継ぎ、10時20分頃、稲毛の大聖堂に到着しました。

Dscf4020このあたりは同じ名字の家が多いので、例会の日は新規の方が間違えないよう、門の脇にJORCのプレートが掲げられます。

Dscf4023門を入って突き当たりが会場です。

Dscf4017大きい模型が走り回っています。この日はゲストを含め40人以上が集まりました。高齢者が多いので、アルコールっ気は一切ありません。

Dscf4025目に付いた車両をアップしてみます。アオシマのDD51を0番で動力化。重連仕様なので後ろはトレーラーです。

Dscf4028ゲストが持込んだフルスクラッチのシェイ。超スローですが安定した走りっぷりでした。

Dscf4033稲見製のEF57。1台車1モーターのインサイドギア連動で、ガッチリした造りです。

Dscf4030サウスショアラインの電車。オリジナルは3線式だったそうです。
 午後から降り始めた雨にもめげず、こちらは15時頃に切り上げ、総武線、小田急経由で藤沢に向かいます。

Dscf404917時半頃、湘南鉄道模型クラブの新年例会に突入。入り口の記帳で64番目でした。写真は少し波が引いた19時頃。その昔は夕方頃に線路を敷き終わり、やれやれで夕食をすませてからが本番、という流れでしたが、今は開始時間が繰上がり、明るいうちから盛上がっています。

Dscf4036ひととおり挨拶をすませたら模型をレールに乗せます。武蔵野急行電鉄の特急用3000系。昭和53年頃の完成で、中間のT車2両が動力付き。ゴムタイヤ付きなので走行にやや不安定な面があり、ボロを出さないよう、ゆっくり目に走らせました。

Dscf4044となりの線路にいた長電0系(OSカー)。

Dscf4045小田急VSEは16.5mmで2本、13mmで1本。本物より多い!。

Dscf4047クモルが集結していました。

Dscf4046オレンジの旧国。よく見ればかなりクセのある車両ばかりです。

Dscf4058その中に「?」なのが紛れ込んでいました。標記はクモハ74050。本来のクモハ74とは顔付きが少し違うけど、羽衣線用ということだろうか。

Dscf4055超マイナーなED500。

Dscf405013mmの機関庫。この脇をVSEが走り抜けていました。京王3000系の第1編成もいたけど、写真は撮り忘れた。

Dscf4054幸せいっぱいのオジサン達。模型があるから酒も美味い。一都二県を縦断して模型三昧の1日でした。

2017年1月 7日 (土)

工作初め

 お屠蘇気分も抜けた6日の午後、武蔵野急行電鉄工務部はやっと工作初めとなりました。

Dscf4004手を付けたのは本命のEF65ではなく、暮れから持ち越しのこれ。エンドウのキット、長電モハ1500形に前照灯と尾灯を取付けました。尾灯はかなり小さいパーツで、前面から見て垂直、側面から見て水平を出すのに気を遣います。

Dscf4007モハ1502にするので、パンタ側は貫通です。

Dscf4008床板はジャンパ栓などの取付けベースをハンダ付け。これで裏表を間違えなくなります。しかしこのキット、ジャンパ栓やエアホースの取付け位置の説明は一切なし。パンタ側からの写真が1枚添えられているだけです。

Dscf4009パンタ台はホワイトメタルなのでへにゃへにゃ。自分のではなくても、このままでは使いたくない。さらに、運転室扉の手摺りは穴の位置がエッチングでマークされているだけで、穴あけと手摺りの曲げは自分でやらないといけません。

Dscf4013本日の午後は自分の模型を箱から出し、車輪磨きと注油をして試運転。明日はこれを藤沢まで背負っていきます。 

2017年1月 5日 (木)

名鉄美濃町線1992(その2)

  そこそこの反応があった名鉄美濃町線、味をしめたわけではありませんが、一緒にスキャンした画像で路肩軌道が出てくるカットなどをもう少しご覧ください。新関から岐阜方向に辿っていきます。

Img_0009a新関から四つ目の白金は交換可能。新関方面のホームで、後ろの建物は駅舎ではなく、普通の民家です。

Img_0011a新関行きが到着。

Img_0012a反対方向から新岐阜行きが到着。この当時は15分ごとの運転でした。

Img_0015a白金~上芥見間の路肩軌道。電車はこちらに向かって走る新関行きです。

Img_0016a反対側から後追い。ここは軌道内が舗装されているので、車が擦れ違う時は軌道内に入れます。

Img_0017田圃の中から1枚。

Img_0033上芥見の電停付近。

Photoよそ者は見落としそうな上芥見の電停。

Img_0031昼間はほとんど乗降客はありません。この次の下芥見は交換設備があり、朝晩は新岐阜方面からの折り返し列車があります。

Img_0037岩田坂のあたりは道路と並行する専用軌道です。歩道橋から新関方向の遠望。

Img_0036新岐阜方向は緩くカーブしています。

Img_0034岩田坂のホーム。斜面の石垣が派手にペイントされています。

Img_0035階段部分はモ880形を表しています。

Img_0001a交換設備のある日野橋。平日の朝は続行同士の交換が見られます。先行列車の前面左窓下に黄色い〇の続行標識が掲げられています。

Img_0006a画面奥は徹明町行き、手前が続行の新岐阜行き。日中も30分ごとに徹明町~日野橋間の列車があり、競輪場前~日野橋間は新関系統の続行となります。

Img_0038併用軌道の野一色付近。日野橋行きの続行車です。
 まだポジはこの数倍ありますが、ひとまずこれまで。

2017年1月 3日 (火)

〇〇初め

 年が改まり、デパートは初売りで大賑わい、中学生の孫は宿題の書き初めに四苦八苦しています。本来、〇〇初めというのは元日ではなく2日に行うものなのですが、まぁ固いことは抜きにして、今年の〇〇初めを列挙してみます。

Dscf3987元日の昼過ぎ、初めて外に出で我が家の玄関をパチリ。写真初めです。

Dscf3989そのまま5分ちょい歩き、地元の氏神様へ。

Dscf3992我が家を代表して初詣。にわか信者で賑わっています。

Dscf4002家に戻って名鉄美濃町線のポジをスキャン。これは大晦日から2年越しです。その日の夜にアップして、そこそこの反響がありました。

P10235892日はかねてから気になっていた場所の下見。中央線と京王線に初乗りして行った先は稲城からほど近い、妙見寺というお寺。画面右下が本殿への参道で、この階段は妙見堂に通じています。しかしこの坂、車が上り下りしているようです。

P1023580階段を上がったところからの眺め。高架は武蔵野線、真ん中を京王相模原線がくぐっています。ここは貨物線なので、20分くらい待っていても列車は1本も来ません。しかし、臨時ですがここを走る旅客列車もあるのです。

P10335923日は早起きして7時過ぎに朝飯をすませ、新宿8時発の京王八王子行き特急、調布で橋本行き快速に乗り継ぎ、8時35分頃、昨日の場所に到着。待つこと暫し、8時55分頃、これが通過して行きました。南越谷発鎌倉行きの「ホリデー快速鎌倉」です。かつてはスカ色の115系だったのですが、現在は185系の6連。今週末の7~9日も運転されます。
*この写真は少し大きめにしています。

P1033602それ以後、貨物列車は来そうもないので、京王線に戻ります。さきほど下りに都営の10-300R編成が入っていたので、それの帰りを京王よみうりランドで待ち構えます。まずはお馴染みの8000系10連の準特急。

P1033603数で勝負の9000系。これは地下鉄乗入れ用のラスト編成で、9749に続けて9750にはできないため、9730と番号が戻っています。前面のKEIOのロゴも赤帯の切欠きではなく、青帯の下になっています。

P1033605やってきました。両端のクハだけがE231仕様の10-300R編成は廃車が進み、残っているのはこれ1本だけ。それも今年度内に廃車となります。

P10336067000系の準特急。最初から10連で新製された20番代です。

P103360710-300形の最新タイプ。ホームドアを意識して幕板の帯が太い。

P103360810-000形のラスト2本は顔が変わりました。まぁ、嫌味のないデザインです。10時を回ったけどまだ帰宅するには早い。正月だから京急大師線の干支マークがついた電車を撮ろうと、京王稲田堤から南武線に乗り換えます。

P1033609京急川崎の大師線ホームは善男善女で溢れています。いきなり来たのは1000形で、前面にはなぁ~んにも付いていません。

P10336122本目は1500形で、しっかりマークが付いています。電車の絵は1000形の貫通タイプか。

P1033615マークは2種類あるはずなので、もう1本待ちます。正月ダイヤで6分間隔なので、すぐ次が来ました。本来ならお大師様にお参りするところですが、電車がメチャ混みなのパスして品川に向かいます。幸か不幸か800形のオリジナル塗色、1000形の貫通タイプには出会わず、腹も減ったのでそのまま帰宅しました。

2017年1月 1日 (日)

名鉄美濃町線1992

あけましておめでとうございます

 黙っていても勝手に年が明けました。2017年最初のブログに名鉄美濃町線を引っ張り出してきたのは深~いわけがあります。年末に鉄犬さんが関から美濃のあたりの廃線跡を探訪されたようで、それは私の書き込みがきっかけになったらしい。そうなると多少なりとも火付け役の責任を感じるので、私が以前に彼の地を訪れた時のポジを引っ張り出し、2年越しでこれはと思うコマをスキャンしてみました。
 撮影は1992(平成4)年12月。仕事絡みなのでかなり贅沢にフィルムを使い、関~美濃関連だけでも36枚撮り4本くらいになっています。フィルムはフジのRD、4800dpiでスキャンしても少し眠い画面ですが、元のポジはルーペで見てもピントはしっかりしています。実際の撮影順序とは関係なく、新関から美濃へとアップしてみました。

Photo新関駅前。左が岐阜方向になります。食事ができる店や喫茶店もあり、結構賑やかでした。

Img_00051番線に到着したモ600形。美濃町線の車両は各形式ともパンタ(またはZパンタ)のある方が美濃寄りです。ホームは駅舎寄りが2番線。左側通行で、2番線には美濃~新関間の列車が発着します。

Img_0007岐阜寄りの踏切から。

Img_0006美濃寄りの踏切から。こちらは両側に側線(安全側線ではない)がありました。

Img_0009美濃からのモ590形が到着。ホームの手前で水路を渡ります。

Img_0010水路を渡るモ590形。

Img_0024新関(画面右奥)を出ると左にカーブして道路(281号線)に出ます。このすぐ左奥が長良川鉄道の線路です。

Img_0023ちょっと寄り道しました。

Img_0030281号線に出て少しは道路の真ん中を走ります。画面手前が新関方向。

Img_0022aほどなく道路の端、路肩軌道になります。ここは新関~下有知の中間あたり。

Img_0027線路と道路の位置関係。ちょっと対向車をよけ損なったら軌道に落っこちます。

Img_0023aモ600形がこの区間を走るのは朝晩だけです。

Photo_2下有知の電停。この先も同じような景色が続きます。

Img_0018b神光寺は専用軌道で交換可能。朝の列車には収容力の大きいモ870形が入ってきます。

Img_0019b朝はここで交換があります。モ870形の前照灯は名鉄に来てから1灯のみとして、向かって左はダミーです。

Img_0020b発車して頭が揃ったところ。次の松森は1枚も写真を撮っていません。

Img_0012美濃。昼間はモ590形の単行が30分毎に走ります。

Img_0014まだこの時代のモ590形は冷房化されていません。

Img_0013振り返って見た駅構内はかなり広い。昼間はモ590形が1両、昼寝していました。

Photo_3美濃駅。今も架線柱が撤去されたくらいで、駅舎はほとんどそのままのようです。

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