西武新宿線の地下化工事(その2:2000系特別講座)
沼袋~新井薬師前間のほぼ真ん中あたりで中野通りと交差します。
中野通りはご存知のように桜の名所。こんなシーンは来年がラストチャンスになりそうです。
この踏切からはそこそこの列車写真が撮れます。先日(10月18日)も何気なく出かけてみたら、いきなり2000系の基本タイプが続けて5本も来ました。なので急遽その写真を活用し、西武大学撮り鉄学科2000系特別講座を開講します。
2000系の第一編成は1977(昭和52)年2月に竣工しています。その年の確か5月頃に鉄道友の会の見学会が行われ、支部委員だった私がその担当になりました。写真はその時、入曽の車両基地で撮影したものです。
今でこそ西武も支線用を除いて4扉になりましたが、当時はまだ3扉が基本で、2000系は混雑が激しい西武新宿~田無間で使用する特殊用途の車両という位置付けでした。そのため6連を17本作ったところで一旦打ち止めとなり、池袋線用には同じ足回りで3扉の3000系が増備されます。
とはいえ、実際には使い勝手がいいのでどんどん増備され、6連の一部をばらして8連に組換えたり、余った先頭車は増結用の2連に改造されました。 この写真は1992年の撮影。まだ高圧線の門形鉄塔が健在です。
少し話しがそれますが、2010年にはもう高圧線は別ルートになり、高い鉄塔は頭が切られました。
現在はコンクリートの架線柱に換わりましたが、まだ鉄塔の台座は残っています。
2000系(基本タイプ)の話しに戻します。これは8連固定の2003編成。旧31・33編成の電動車を組込んだので、モハのユニットは西武新宿寄りから2100・2300・2200代になります。
6連の2027編成に新2000系の4連を併結した10連。新宿線ではこの組合わせがよく見られますが、新2000系が西武新宿寄りになることが多いです。
基本タイプの2+8編成。先頭は2409。
新2000系8連の2059編成。菱形パンタで戸袋ありという、かなり原型に近いスタイル。ただし、ベンチレーターとパンタ台は撤去されています。
オール新2000系の10連。一時はすべて池袋線所属になっていた2連の新2000系も、最近は半数の4本が新宿線に戻っています。4連が出た頃は2+4+4でパンタが10個という、近鉄の特急みたいな編成もありました。
新2000系4+基本タイプ6の10連。先頭の2035はパンタ台、ベンチレーターが撤去されています。
行き先表示が幕式の2007編成。写真写りはよいけど、おそらく来年度の廃車候補でしょう。
基本タイプのラストとなる31・33編成は事故車の代替として新製された2代目。外観は基本タイプですが、内装などは新2000系に近いという異端車です。見分けるポイントは助士席側(前面向かって左)にもワイパーがあり、ベンチレーターが角型であること。さらにリニューアルを行って側面の車号がプレートになり、座席は青色です。最近になってベンチレーターの撤去が行われていますが、なぜか一部は残されています。
田の字窓の基本タイプは池袋線に配置されたことはなく、新宿線の主(ぬし)のような存在でした。6連のすっきりした編成を撮るなら国分寺線がお薦めです。
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いろいろと懐かしい記事です。
中野通り踏切哲学堂側に細い道が上を跨ぐ橋があり、その道沿いに叔父の家がありました。最寄駅は新井薬師です。
祖母が健在の頃は、毎年正月に顔を出していましたが、桜の季節には行きませんでしたね。
2000系は丁度大学に入った年に高田馬場で試運転を良く見かけました。
西武らしくない車両だな、鉄分が最も薄かった時代の感想です。
投稿: シグ鉄 | 2016年12月 3日 (土) 16時20分
シグ鉄さま、
中野通りを跨ぐ細い道、妙正寺川の手前ですね。赤電から黄色に変わったのは2000系が最初。いろいろな意味で西武の流れを変えた車両といえます。
投稿: モハメイドペーパー | 2016年12月 3日 (土) 23時39分