根岸線(桜木町~磯子)開通の日
1964(昭和39)年5月19日、国鉄根岸線の桜木町~磯子間が開通しました。実質的には京浜東北線の延長ですが、これは運転区間を表す通称なので、東海道線からはみ出た部分が新たな線名区分として根岸線になったわけです。
私はこの年に大学生となり、やっと大学のペースにも慣れて来た頃、早い話、サボリのコツなんかもわかってきました。5月19日は平日で、恐らく1限目の授業に出てから小田急、相鉄を乗り継いで根岸線に向かったようです。まずは根岸で下車。やっと駅だけができたという感じです。
これは根岸の跨線橋から磯子方向を写したものでしょう。先頭はクモハ73のアコモ改善車のようです。バックに根岸線開業を祝うアドバルーンがいっぱい上がっています。
まだ終点だった磯子。横浜線から乗入れた短い編成が止まっています。手前からクモハ60-サハ17-クハ79-クモハ73で、中間にクハ79が入ったイレギュラーな編成です。
磯子駅の正面。根岸よりは駅前も整備されていますが、大きな建物はありません。
磯子に到着する列車。先頭はクハ79形300番代です。まだ戸袋窓に保護棒が2本ずつ付いています。
ホームに停車中のクモハ73。この頃は幕板に京浜東北というプレートが付いています。根岸から磯子あたりは埋め立て地ですが、まだ今ほど埋め立ては進んでいなくて、電車の後方に船が見えています。
これも磯子でしょう。シャッター切るのが早かったのではなく、根岸線開通という看板を入れてみたかったのです。先頭は元クロハだったクハ55。京浜東北線に最後まで残った戦前形です。
戻りながら所々で途中下車しています。右手が関内駅。
伊勢佐木町の商店街も根岸線開通を祝っています。
左が桜木町です。
上の写真に見えている橋から関内方向への後追い。桜木町から石川町付近までは大岡川の水面に橋脚が建てられました。後に川は埋められ、高速道路が走っています。
桜木町駅前で市電と東急7000系のツーショット。421号は横浜市電で最後まで残っていた木造、ダブルルーフの単車です。
野毛の商店街で、桜木町駅前からそう遠くではない所でしょう。根岸線開通のアーチがあるので撮りました。市電は1500形。
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こ、これは!
頭をぶん殴らたような衝撃です。
京浜東北線が磯子まで延びたから行ってみようか。
亡父と兄と3人で行きました。
白々しいほどの新しい高架線に旧型国電、鼻垂れ小僧がわくわくした光景をありがとうございます。
投稿: シグ鉄 | 2016年7月29日 (金) 22時59分
これはまた凄い記録を!
根岸線って、青い103系かと思っていましたが、実際は73系が多かったのですね。
どの写真を見ても、懐かしい懐かしい。
周りの景色は変わりましたが、線路は今でも変わりませんね。
東横線が懐かしいです。
投稿: OER3001 | 2016年7月29日 (金) 23時21分
この年、中坊になりました。横浜麦田の市電車庫の裏に親戚があり、すぐそばで工事中の様子も記憶しています。『ここにも駅が出来ると思ったら素通りだ』と親戚では話していました。
市電のドル箱だった杉田線、本牧線の乗客が一気に減少し、市電廃止が加速しました。それも時代の流れですね。
投稿: Cedar | 2016年7月30日 (土) 11時11分
シグ鉄さま、
ちょっと前という感じですが、もう半世紀以上前なんですね。鉄道ファン6月号の「首都圏の鉄道情景」に、5月24日に撮影されたカラー写真が載っています。
OER3001さま、
昭和39年は103系の量産が始まった年で、京浜東北線に103系が入るのはまだまだ先の話です。東横線もまだ18m車の6連です。自動車がみんな年代物ばかりだし。
Cedarさま、
横浜市電は1500形のオリジナル塗色が好きだったのですが、新塗色はいただけません。この時期はまだワンマン化はされていないけど、翌年から廃止が始まっているんですね。
投稿: モハメイドペーパー | 2016年7月30日 (土) 20時50分