間もなくお別れ、阪急3100系
阪急電鉄の3100系が7月9日限りで引退となるそうで、すでに最後の1本となった編成にはお別れのヘッドマークが掲げられ、伊丹線の沿線には連日、葬式鉄が群がっているとか。
という状況の中、敢えて阪急ファンの神経を逆撫でするようなことをいわせてもらいます。去りゆくものを必要以上に美化するのは日本人の特性かも知れません。しかし、はっきりいって3100系は阪急の車両では一番の味噌っかすだと思います。私は少なくとも全廃が云々される以前に、「阪急じゃ3100が一番好きや」という「鉄」に出会ったことがありません。それでも、月が変われば「3100は阪急の隠れた名車」などと祭り上げられ、最終日には「ありがとう3100」の一大コーラスで幕引きとなるのでしょう。
まぁ、それがいいか悪いかはさておき、私自身、阪急は嫌いではないし、3100系もデビュー当時にはそれなりの存在意義があったことは認めます。半世紀以上走り続けたのは「無事これ名馬なり」の見本といっていいでしょう。そんな3100系はどのくらい私の手元に記録されているかというと、残念ながら3100系と意識して撮影したことは一度もありません。3000系とひと絡げにして、そのなかにたまたま3100系も写っていたというのが正直なところです。フィルム時代の記録は探すのが面倒なので、デジカメになってからの画像を少し(本当はこれでほぼ全部)アップしてみます。
伊丹線の稲野かな。仕事絡みで3000系の板車を狙った時の副産物です。2013年撮影。
同じ編成の反対側から。3160-3608-3553-3110で、T車は3000系です。
パンタ付きの3600形は冷改してもパンタ部分には非冷房時のモニターが残っていました(3608)。
塚口進入のシーン。
キリ番です。塗装がテカテカなんで、私の姿が写っています。
この頃は今津線に6連もいました。3152-3601-3102+3153-3607-3103。西宮北口付近。
仁川だったかな。3154-3602-3104+3155-3603-3105。
上の編成の2両目、3602は1個パンタになっていました。阪神・淡路大震災でパンタを破損したからという理由ですが、結局廃車までこのままでした。あの阪急さんが10何年もパンタのやりくりが付けられないことはないと思うし、1個で支障なかったということなのでしょう。
阪急からは消えても、3100系はここ(能勢電)で生き延びています。震災の翌年、1996.12.19付けで廃車になった3156-3604-3653-3106が能勢電に譲渡され、1997.10.3に3170-3620-3670-3120として竣工しています。
車内はシートモケット、化粧板とも、およそ阪急系らしからぬ色調になっています。能勢電に行ってから20年近くになるけど、存在はほとんど知られていません。1700系(阪急2000系)よりは新しいものの、今後の運命が気になります。
最後に、阪急では3000系の中に1両だけ3100系を組み込んだ編成があるので(3052-3501-3651-3007)、3100系の完全な形式消滅はもうしばらくお預けです。
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おっしゃるとおりですねー。
3100を意識したことなんかないくせにいざなくなるぞ、と、こぞって3100詣、ともなれば浮き足立つ阿呆はワタシでした(糞爆)。
でも近い将来の3000引退はちょっと悲しいかもですね。
3100を追いかけた結果、3000はたくさん撮りましたのでもうええですが・・・・・
投稿: 葬式屋わんわん | 2016年6月28日 (火) 07時11分
おっしゃるとおりですねー。
私もフィルム時代3100の写真はたった1枚。2100はパワーアップ版が神戸線に1本いたものの3100はなかったと思います、神戸線ユーザーの私にはほとんど馴染みがなく、わざわざ撮りに行くほどの魅力も感じませんでした。
でも今私の中では、幕化されてはいますが「屋根肩白ヌリなしの阪急顔」がひとくくりです。形式云々より、味噌っかすも含めこの姿で残っていた奴らのうちのひとつが消えるという事実が淋しくてたまりません・・・
投稿: 葬式屋青春M | 2016年6月28日 (火) 11時47分
阪急はHM等でマメにお別れを盛り上げますが・・
アレッ?これってこの間、引退した車両じゃないの?
一般の乗客はそう思うような気がします。(鉄の私もその口ですが)
ご自身が写ってしまう、わかります。
阪急の車両はテカテカ過ぎて上手く撮影できませんよね。
名人モハメイドペーパーさんでもそうなると知って、少し安心しました。
投稿: シグ鉄 | 2016年6月28日 (火) 11時59分
葬式屋わんわんさま、
栄枯盛衰は世の習い、消える間際に騒ぐくらいなら、誰も振り向かないうちにせっせと撮っておけ、というのは私自身にも言えることです。最後の大騒ぎの様子を撮るのも、記録としては必要かと思います。
葬式屋青春Mさま、
3100は神戸線の普通には使えるような性能を持たせたそうですが、ついぞそれが生かされる機会はなかったですね。屋根肩白ヌリなしが純正の阪急顔といわれますが、2000系列がデビューした頃、当時の阪急ファンに素直に受け入れられたのでしょうか。
投稿: モハメイドペーパー | 2016年6月28日 (火) 12時10分
シク鉄さま、
阪急に限らず、形式はどうでもいいんです。マスコミに取り上げられ、一般の人にも目を向けてもらうことで、多少なりとも鉄道離れに歯止めがかかる、という考えなのでしょう。
外板の反射、いろいろとカメラの位置を変えたりしますが、3100の時は車庫内で動きに制約があり、どうにもならなかったのです。
投稿: モハメイドペーパー | 2016年6月28日 (火) 14時10分
糸目もブームに乗っかって3100の特集を企画しましたが・・・
写真棚を捜索しても、伊丹や今津でパパラッチした3000ばかりでした~(ノД`)
まぁ3000と3100との違いを知らなかったバチですねぇ~
投稿: 糸目今日子 | 2016年6月28日 (火) 21時28分
糸目今日子さま、
確実に3100だけを写している人がいたら、それはかなりの変態です。これからは能勢電で生き延びているヤツを狙いましょう。
投稿: モハメイドペーパー | 2016年6月28日 (火) 22時27分