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2015年11月 4日 (水)

東小金井駅開業

 中央線の東京~高尾間で最も駅間距離が長いのは、豊田~八王子間の4.3km。2番目が武蔵境~武蔵小金井間の3.4kmだったのですが、昭和39(1964)年9月10日、ちょうどその中間となるどちらからも1.7kmの位置に、東小金井駅が開業しました。現在の東小金井は高架になっていますが、開業当時はまだ地平でした。

641425_0002ホームの端にあるプレートは1963-9になっています。実はこの駅、本体はできあがってもすぐに開業せず、1年ほど放置されていました。

641425_0006開業が遅れた理由は定かではありません。開業のお知らせや時刻表は手書きというのがしょぼいです。

641425_0011時刻は10時過ぎ、近所のオバサン達が見物に来ています。記念乗車券は発売されなかったようです。

641425_0012駅舎はいわゆる橋上駅です。

641425_0013跨線橋から高尾方面を見たところ。

641425_0007上りホーム。上屋は3両分くらいしかありません。北側に貨物駅を作る工事が進められています。跨線橋の階段がホームから離れているのがわかりますね。

641425_0016この頃は真っ昼間に荷物電車が走っていました。

641425_0018東京方面を見たところ。数年後には出発信号機の向こうまで貨物駅ができ、ク5000による自動車輸送で賑わいを見せました。

641425_0009駅の北側。やっと取付道路ができたという感じです。

641425_002210時半頃から北口のテントで開業式が始まり、カメラを持ってうろうろしていた私は、その式典の中に紛れ込んでしまいました。

641425_0019渡り初めが始まりました。テープカットしているのは東鉄と小金井市の関係者でしょう。

641425_0025渡り終わった南口でもう一度テープカットをして、式典は終わりました。

P6040228あれから40年(綾小路公麻呂の声で)、高架工事が進み、平成19(2007)年7月に下り線が高架に切り換えられました。画像はその直前の頃で、線路は高架線の北側、かつて貨物用の側線があった位置に移設されています。

P6280517東京方面を見たところ。

P6040222ホームには下り線を高架に切り換える告知が出ています。

P6280528跨線橋から見たホーム全景。下り線(画面左)を高架に移し、そのスペースに上り本線の高架を建設します。

P5142707中線は武蔵境の中線機能を引き継いだもので、時々こんなオマケに出会いました。

Pb040192現在の下りホーム高尾寄り。珍しい列車が走ると、ここに撮り鉄が群がります。

Pb040194ホーム全景。真ん中の副本線は上下共用です。

Pb040200えきなかには「そばいち」が入っていました。私見ですが、東京近辺の駅そばでは一押しです。

Pb040207線路が高架になったので、改札口は地平に降りています。

Pb040204南口。一応バスも乗入れています。

Pb040201商店街というほどの店数はありませんが、農工大の学生でそこそこ賑わっています。

Pb040208ホームから見た北口。まだ開発途上という感じです。

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コメント

西国分寺は後から出来た駅でしたが、東小金井はもともとある駅という認識でした。
貨物側線が多い駅でしたよね。

高架駅になってからも苦い思い出があります。
東京が不案内な息子の受験下見に付き合いましたが、in vain.
親も親で、新駅を観察しながら、どう複々線にもっていくのか、などと考えているのですから話になりませんが・・・

これだけの記録、素晴らしいです。
開業時に撮影していた時、将来貨物も廃止、高架化されることなど考えもしなかったでしょうから。ク5000も懐かしい昔話になってしまいましたね。

 西国分寺は昭和48年4月の開業だから、約9年後です。東小金井はたいして話題にもならず、いつの間にかできていたという感じです。
 ク5000は昭和41年登場で、東小金井にも積込み用のスロープができました。自動車輸送は10年ちょっとくらいで廃れ、せっかくの設備も国鉄末期には廃墟になっていました。

大学のグラウンドが東小金井にあったので、足しげく通いました。なので、地上ホームの思い出しかありません。周りはホントに何もなかったです。入学当初は日比谷公園のテニスコートを借りていたのですが、部費縮小のため、自学のグラウンドを使うことになり、自主休講して、はるばる東小金井まで良く通いました。

 意外なところで関わりがあるんですね。日比谷とこことでは、かなり土地代も違うはずです。
 ク5000がたむろしていた頃を撮っていないのは、今もって悔やまれます。

はじめまして
昭和40年代半ばから50年代半ばまで東小金井の駅の近くに住んでいました。
小学生になる前後で北口から南口に行くのに近道のため自転車を担いで駅の階段を上り下りした記憶が蘇ります。
駅の改札手前の広場からは晴れた冬の日には富士山が見えました。
自分で写真を撮っていなかったため、本当に貴重な写真をありがとうございました。

  昭和50年代あたりまで、東小金井近辺にはまだ武蔵野の面影が残っていました。私はあくまで鉄道中心の記録なんで、もう少し町並みも撮影しておけばよかったかなと思っています。

はじめまして。素晴らしい写真をありがとうございます。私は1985年~1990年まで、この区間の中央線を通学で使っていました。すでに現実では見ることのできない景色がとても懐かしいです。

前々から思っていたのですが地上時代の東小金井駅は、複々線化を見越して設計されていたのではないかと思います。上下ホームの屋根の形状、それぞれのホームの南北のスペース(線路一線分空けてある)、橋上駅等の特徴からしてそう考えてました。掲載して頂いた写真でもそれが見て取れたので面白かったです(ただの妄想かもしれませんが)。ありがとうございました。

INさま、
この時代はまだ三鷹~立川間も複々線化する計画でしたから、東小金井も当然、それを見越した設計になっています。西国分寺のホームも同様ですね。駅前が街らしくなってきたのはJR化後しばらくたってからです。

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