止まっても降りられない
もう関東合運から1週間ですね。ということで、それとはなんの関係もなく、50年ほど前の写真を引っ張り出してみました。
小田急電鉄伊勢原駅の下りホーム。1965(昭和40)年1月頃の撮影です。列車は下りの快速準急で、HE車+2220形の6連。後ろの2220形はホームにかからず、ドアは閉じたままです。前年11月のダイヤ改正で8連運転が始まり、相模大野~小田原間でも一部の列車が6連になったのですが、4連分のホームしかなかった伊勢原では、後ろの2両がはみ出てしまったのです。
小田急では先頭車同士を貫通幌で結ぶことはしないので、うっかり後ろ2両に乗ってしまうと伊勢原では降りられません。もちろん本厚木ではその旨の案内放送はしていますが、時として缶詰状態になってしまい、鶴巻温泉まで連れて行かれるお客さんもいたようです。
もちろん小田急もわざと意地悪をしたのではなく、前2両をはみ出させると出発信号機を越えてしまうという、やむを得ない事情があったのです。当然、上り列車は小田原寄り2両をはみ出させて締切り扱いとしますが、そうすると僅かな時間とはいえ、構内踏切を塞いでしまいます。
写真でもわかるように、ホーム延長工事は真っ盛りで、この不便な状態は年度内に解消されました。
これは上りホームで、停車しているのは1701編成。ホームから少しはみ出し、運転室寄りのドアが閉切られています。4連の各停だから本来ならホームに収まるはずですが、おそらく新宿寄りが工事中で、暫定的に停止位置が変更されていたのだろうと思われます。
伊勢原の駅舎は山側にありました。画面左に組立て中のポイントが見えています。
もう少しカメラを右に振ったところ。下りの停止位置目標が構内踏切ギリギリです。
同じ頃の本厚木。下り本線の上あたりから新宿方面を見たところです。ホキ・ホキフの編成はここが定位置で、保線用の採石を積込んで待機していました。
こちらは上りホーム。冬の時期に伊勢原~新宿間で運転された猪電車で、停車駅は急行と同じでした。今でも猪鍋は丹沢地区で冬の名物になっています。
私が通学でお世話になった鶴巻温泉。まだ大根(現在の東海大学前)に急行は止まらず、こからバスを利用していました。データイムは上下の急行が同発(29分と59分)だったので、上り急行が来ないうちに構内踏切を渡らないと、バスに乗れなくなってしまうのです。
これは1964(昭和39)年8月の撮影、大秦野で特急「きんとき」を待避する丹沢号です。この頃の丹沢号は本厚木~向ヶ丘遊園間が無停車でした。
1枚だけですが、読売ランドのモノレールが写っていました。1965(昭和40)年4月、新入生歓迎のオリエンテーションで読売ランドに行った時のスナップです。
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コメント
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これはこれは懐かしい情景の数々をありがとうございます。
黄色と青の一般車塗装が一番輝いていた時代ですね。
投稿: OER3001 | 2015年10月17日 (土) 23時46分
いやいやこれはまた懐かしい情景の数々をありがとうございます。
黄色と青の一般車が一番輝いていた時代だと思います。
投稿: OER3001 | 2015年10月17日 (土) 23時48分
この頃が一番小田急らしかったような気がします。この後のクリームに青帯も、今は、風前のともしび。
投稿: ぼっちぼち | 2015年10月18日 (日) 10時05分
丹沢号と言っても、一般の電車ですよね?
相模大野も新原町田も通過ですか。それで向ヶ丘遊園ってところがいかにも小田急。
私が最初に小田急に乗った頃の急行は、新宿、下北の次が向ヶ丘遊園!
登戸も平然と通過。向ヶ丘遊園は何様だったのでしょうか。
投稿: シグ鉄 | 2015年10月18日 (日) 10時41分
まだこの頃は茶色で2ドアのHB車も健在でした。相模大野から先は車内でタバコも吸えた時代です。
丹沢号はダイヤ上では特殊急行という区分でした。急行の停車駅は下北沢、向ヶ丘遊園、新原町田、相模大野、本厚木、伊勢原、鶴巻温泉、大秦野、渋沢、新松田。成城学園前は上りの通勤急行、登戸は下りの通勤急行が停車していました。
向ヶ丘遊園はなんといっても直営の遊園地があったからでしょう。駅から遊園地までの豆汽車がモノレールに変わったのもこの頃です。
投稿: モハメイドペーパー | 2015年10月18日 (日) 13時15分
禁煙区間が新宿~相模大野の前は新宿~向ケ丘遊園だった筈ですが、いつ相模大野になったのでしたっけ?
投稿: OER3001 | 2015年10月18日 (日) 23時05分
猪電車に丹沢号、つり電など、小田急にも楽しい電車が走っていた頃ですね。
経堂の墓掃除に行くときにこれらの電車を憧れの目で見ていたものです。
向ヶ丘遊園は今でこそ落ちぶれましたが、開業当時の稲田登戸時代から急行停車駅でした。急行が登戸に停まるようになったのは南武線の乗り換え客が増えて向ヶ丘遊園まで戻る客が増えてしまったせいでしたね。成城にも停まる急行はずいぶん格落ちしたものだと感じました。
投稿: Cedar | 2015年10月18日 (日) 23時08分
私が通学で小田急を利用するようになったのは昭和36年からで、その時の禁煙区間は遊園までだったような気もします。
つり電→鮎電ですね。5月31日の深夜に下りのみの運転で、これだけは実際に見たことはありません。夏には納涼ビール電車もありました。
急行も今は新宿から町田までにいくつ止まるのか。この区間で昔より10分余計にかかっています。
投稿: モハメイドペーパー | 2015年10月18日 (日) 23時38分
よみうりランドのモノレールはアルウェーグ式としては犬山に次いで関東初、東京モノレールより半年ちょっと早いんですよね。
良きパイロットモデルとなったことでしょう。
後年、モノレールの桁を一部利用して、ゴーカートコースに変身しましたが、高さがあるだけでダラダラとしたコースのため、あえなく休止に追い込まれました(笑)
投稿: 赤影 | 2015年10月19日 (月) 23時35分
東京モノレールのような話題性もなく、大船のようなトラブルもなかったから、終始地味な存在で、いつの間にか消えてしまった、という感じですね。ゴーカートのコースもちらっと見たことがあります。まぁ、読売ランド自体、存続しているのが不思議な気もします。
投稿: モハメイドペーパー | 2015年10月20日 (火) 13時13分