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2015年6月28日 (日)

地下鉄日比谷線が全通した日

 地下鉄日比谷線は1961(昭和36)年3月に南千住~仲御徒町間が開業し、約3年後の1964(昭和39)年8月29日に全通して、東急東横線との相互乗り入れが開始されました。この日、大学1年だった私は夏休みの真っ最中ですから、早めに朝食をすませ、まだ朝のラッシュが終わらない中目黒に行ってみました。
 実はこの日の約1月前、7月22日に恵比寿~中目黒間が開業し、東横線とは線路がつながっていました。いろいろ事情があったのでしょうが、中抜け状態になっていた東銀座~霞ヶ関間が8月29日に開業し、目出たく全線開業となったのです。

641324_0008_0001中目黒の改札口。乗り継ぎ駅なので、この駅自体の乗降はそんなに多くないです。

641324_0008_0003上りホームの端でカメラを構えます。ホームは8両分の長さになっているけど、屋根は6両分しかありません。まだ直通車は6連で、一部4連も残っていました。

641324_0019_0004東急、営団、東武の車両が並ぶのを狙って小一時間ほど粘りましたが、残念ながら実現しませんでした。東武2000系の顔付き、素っ気ないけれども個人的には8000系より好きです。

641324_0019_0002東横線には旧形車も残っていました。先頭の3498はまだ更新前です。雨が降ってきたけど、もう少し頑張ります。

641324_0019_0005東急7000系の並び。どちらも先頭の幌が外されています。前面の車号の大きさが違うのは、製造時期、それともメーカーによるものなのだろうか。

641324_0019_0001同時発車した7000系を見送り、雨脚も強くなったきたので引き上げました。

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コメント

懐かしいです。泣けてきました。
中高6年間(’70~’76)広尾まで通いました。
丁度、その頃8連になりました。東横線急行も同時期だったと記憶しています。
中目黒から潜って、恵比寿との間に何故かシーサス・クロッシングがありました。

小学校の頃、車両火災がありました。
サリンもあって、中目黒の脱線・・・
小塚原でザクザク出てきたシャレコウベの呪いなんて言われましたっけ・・

もう相互乗り入れもなくなってしまいました。
中目黒上り線は日比谷線が直線ルート、それも今では虚しいだけですね。

 日比谷線はカーブが多いのでスピードもそこそこ、所要時間は都電とあまり変わらないような気がします。火災になったのは東武の2000系でしたね。その後、抵抗器の上に鉄板を貼るなど、防火対策が強化されました。
 小塚原の呪いだったら、京急がもろに被りそうですが。

小塚原処刑場は現在の南千住です。大きな地蔵があります。
京急は鈴ヶ森処刑場ではないでしょうか。

モハメイドペーパーさんから初めて一本取れるかも・・・

 そうだ、京急は鈴ヶ森で白井権八ですね。南千住の大きな地蔵、電車から見えます。昔は反対側の都電の車庫を覗いていました。

恥ずかしながら、この頃地下鉄と言えば、銀座線しか見たことがありませんでした。よく、絵本で見る赤い地下鉄(丸ノ内線なんて知る由もなし)は、どこにあるのか疑問でした。中学になって、初めて、銀座線以外の地下鉄に乗りました。自分でも信じられない過去の思い出です。

あの頃に戻りたくなるものすごい写真の数々!ありがとうございます!
日比谷線開業時、まだ旧型車はツートンカラーだったんですね。
わかっちゃいても改めてビックリ。
7000のナンバー、初期車のみ小さかったですね。

 地下鉄といったら銀座線だけの世代なんで、まず、丸ノ内線の開業で地下鉄同士の乗り換えができるようになったのにびっくり。日比谷線は運転台の速度計が体温計を横に置いたみたいでおもしろかった。地元の東西線は、20m車が地下を走るのにびっくり。どんどん新しいものが出てきて、楽しい時代でした。
 この頃は旧型もまだ当たり前に走っていて、7000系の方が特別な形式という感覚でした。カメラがまだ完全に使いこなせず、ピンボケも少なからずありますが、そんな写真も50年保存しておけば、ちょっとしたタイムカプセルですね。

日吉⇔北千住間直通運転と大書した横断幕も今や虚しい~
せっかく作り上げたネットワークを断ち切るような鉄道事業者に明日は無い!
でも、日本中でぶち切りが大流行ですね。

 東急にとって日比谷線との直通はあまりうまみがなかったということなのでしょう。7000系のパイオニア台車は、道床が硬い地下鉄の線路とは、相性がよくなかったと聞いています。

茅場町在住だった自分には、物心ついたときから「最も身近で最新の鉄道」でした。(1960年生まれです)
この頃からステンレス車が嫌いで、東武2000系に乗る、とゴネてました(笑)
でも東急7000系の薄紫かかったピンクの室内化粧板と、もろに単一カーブだとわかる妻板上部の形状も好きでしたね。

 茅場町は都電15番の行き先として認識していました。日比谷線全通の頃、東武側の乗り入れは北越谷までだったと思うので、いまより東武車に出会う確率は高かったことになりますね。

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