能勢電、線路付替え区間を検証する
昭和39年の関西行きで能勢電に乗った写真をスキャンしたので、それと現在を比べてみようと思い立ち、運転会の翌日の25日、鼓滝に向かいました。
各駅の駅名標はイラスト入りです。
川西能勢口行きの後追い。トンネルを抜けると猪名川を渡ります。このトンネルと鉄橋がショートカットされた部分です。
駅舎といえるほどの建物はありません。阪急からスイカで乗ってきたのですが、能勢電はスイカの適用外で、インターホンで遣り取りしながら精算してもらいました。正面に見えている緩くカーブした道が、その昔の能勢電の併用軌道だったと思われます。
51年前の鼓滝です。電車は直接制御の50形。現在の線路はホーム背後の丘をトンネルで抜けているので、この電車は川西能勢口行きということになります。
猪名川の左岸を走る能勢街道と交差するあたり。この道が線路跡とすれば、カーブの具合から駐車場になっている部分が鼓滝のホームではないかと推察できます。
能勢街道は拡幅され、車が頻繁に走っています。これは上の写真から振り向いたところです。道路の向こうは猪名川で、現在の能勢電はもう少し下流(画面左)で川を渡りますが、半世紀前は右奥のマンションの手前あたりまで対岸の築堤を走り、ここで川を渡っていました。
これが現在の猪名川鉄橋。電車は川西能勢口行きです。
半世紀前の能勢電。画面の左端が現在の鉄橋の位置です。
ほぼ同じ位置から。真ん中あたりに見える三角の岩は、モノクロ写真の右端に見えている岩と同じだと思います。
猪名川を渡る能勢電。左岸の能勢街道から撮影しています。能勢街道とは平面交差ですが、車はたまにしか走っていませんでした。
右岸からの撮影。猪名川はお世辞にも清流とはいえないけど、子供が水遊びしていました。
かなり無理して築堤に上がったようです。随分急なカーブですが、当時の能勢電ならこのくらいは当たり前です。
河原をよく見てみましょう(写真は能勢街道側から)。中央の石垣状になっていて、鉄骨が3本でているのが、かつての橋脚の土台部分と思われます。
反対側にもそれらしきものが見えます。半世紀前の能勢電が猪名川を渡っていたのはこの位置です。
少し上流の銀橋からの遠望。真ん中あたりがかつての鉄橋の位置です。
古い写真をもう少しご覧ください。阪急から借り入れていたデロ同士の交換。左のホーム屋根下の駅名標は多田と読めました。
これは山下。画面の奥が妙見口方面です。しかし、人家が1軒も見えません。
反対ホームから。駅名標を拡大したところ、右が笹部、左が畦野のようです。従ってこの電車は妙見口行きです。
現在(2008年)の山下。電車は妙見口行きですが、位置関係はまるっきりわかりません。
この日は平野まで乗ってみました。ここは以前、改札を出た所の歩道橋からそこそこのアングルで撮れた覚えがあったのですが、手前の樹木が成長したりで、いまひとつまとまりません。上りホームからの後追いでお茶を濁します。
ホームの南側が車庫です。20年くらい前に来た時は元阪急の383328が保存されていて、車内を撮らせてもらいました。今は影も形もありません。
ニューフェイスの5100形をアップで。となりの1700系はなにやらラッピングされています。
多田で何本か撮影。もう1本の5100系が来ました。地形上から前パンを順光で撮るのは難しいです。
能勢電では懐かしいものに再会しました。清酒「白雪」の小西酒造がスポンサーのベンチ。かつては阪急の全駅で見られたのですが、数年前に姿を消してしまいました。
最近のコメント