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2015年3月11日 (水)

4年前の今日

 今日は4年前に東日本大震災が発生した日。あれからもう4年、東京直下地震だっていつ発生するかわかりませんが、まだ自分にはもう少し運が残っていそうな気がします。その4年前の3月11日、私は仕事で阪急電鉄の正雀車庫にいました。

P31138746300系京とれいん改造車の報道公開があったのです。取材時間は13~15時、時々雲がかかり、外観の撮影にはいまひとつの天気でした。

P3113995そこで外観はそこそこに室内の撮影をして、そろそろ時間だよと外に出たところ、雲が切れて陽の回りも絶好の条件になっていました。雑誌各社のカメラマンがこの好機を見逃すわけはなく、「すいません、あと5分時間をください」とお願いして、いっせいにシャッターを切ったのです。
 そして事務所に戻ったところで、「今、東北の方で地震があったらしいよ」と聞かされました。上の写真で架線ビームの上にある時計は14時50分を指していますから、ほぼ地震発生直後ということになります。

P3114027その時は東北の地震なら東京に戻るのには影響ないだろうと呑気に考え、淡路で写真を撮りながら新大阪に向かいました。

P3114023もう淡路付近では高架工事が始まっていましたが、駅前のいささか下町的な商店街はまだ健在でした。そして17時頃に新大阪に来ると、新幹線は線路点検のため運転見合わせとのこと。この時はもう少しで運転再開という淡い期待を抱かせる雰囲気でした。ところが、19時近くになった時、「本日中に運転再開の見込みはありません」という最後通告が出され、一瞬、待合室の中に大きなどよめきが起こりました。
 私は新幹線がダメならと大阪駅に行き、夜行バスの運転を確認したところ、道路も点検のため通行止めとのことでした。こうなればジタバタしても始まりません。幸い泊まる所のアテはあるので、自宅に「帰れないからもう1泊する」という電話を入れました。
 ホテルでテレビを見ていると、福島原発からの避難範囲が最初の5kmから10km、20kmとどんどん拡がっていくし、津波の映像なんかも出できて、これはただごとではないという実感が湧いてきました。
 明けて12日、土曜なのに午前の上り新幹線は、昨晩足止めを食らったビジネスマンで満席でした。

P3124038昼頃自宅に帰りつき、まずは模型の点検です。昨日の電話で「棚の上からひとつ落ちている」と聞かされたので、一番不安定な置き方をしているこいつがやられたかと覚悟をしていたのですが、案に相違して2両とも無事でした。

P3124032_2本棚の上は振動で少し飛び出しだ箱もありますが、赤丸の所にあった箱を除いて無事でした。

P3124033足元を見ると、無造作に積んだ本が崩れていました。赤丸は棚の上から落ちたEF58(16番)のキット。組立て中なので蓋はしていなかったけれど、幸いにも車体は損傷なし。細かいパーツが飛び散っていましたが、これも全部回収できました。
 まぁ、模型はともかくとして、家と人に被害がなくて一安心。ところが、地震でガスの安全装置が作動し、これを解除するのに数日かかりました。12日は九州新幹線全線開業という記念すべき日なのに、地震のおかげで記念行事のほとんどは自粛になり、JR九州にはお気の毒様というしかありません。
 その後、テレビではやたらとBPOの文字が目立つようになり、絆という文字がにわかにクローズアップされ始めました。

P3294115原発の停止によって電力供給不足が懸念され、電鉄会社は相次いでこれに対応する減便ダイヤを実施。写真は京王電鉄の時刻表で、紙で貼ってあるのが3月23日からの臨時ダイヤです。

 あれから4年、我が家の地震対策といったら、水のペットボトルを常備するようになったくらい。棚から落ちたEF58と、幸いにも落ちなかった旧国の構体2両は、今も震災前の状態を維持しています。

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コメント

正雀車庫でしたか! 時計が良い記録ですね。
小生は青海(テレコムセンター)の産総研で被災。電話は通じないは、近隣ビルからは黒煙上がるも情報が無いは、さらには東京湾の埋め立て地だけに不安で仕方ない中で職場で1泊を余儀なくされました。
模型どころではありませんでしたよ。

 みなさんのブログを拝見すると、都内でもかなりの被害があったようですね。我が家は昭和の初めに建てられた木造ですが、幸いにも被害はほとんどなし。まぁ、埋立て地よりは地盤がしっかりしていると思いますが。 

ご無沙汰をしてました。
4年前のあの日は内科の診療で、出掛けていて、帰って一服をしている時に地震が起きました。その週の前半に都心に出掛けていたので、順序を間違えていれば、自分も帰宅難民になった可能性もありました。自宅は都営住宅の8階、結構、揺れました。タンスの上のカラーボックスが落下しましたが、当方の模型は無事でした。ここに改めて早期の東北地方の復興をお祈りする次第です。

 都内の道路が歩いて帰宅する人で溢れている頃、私はホテルでのんびりとテレビを見ていました。しかし、単純に地震に遭わず運がよかったともいえない、複雑な気持ちです。

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