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2014年10月20日 (月)

50年前の小田急(その2)

 昭和39年10月のダイヤ改正の目玉は急行に8連が登場したこと。さてこれを8連であることがわかるように撮るにはどこがよいか。朝のラッシュ時が勝負なので、なるべく新宿に近い所にしたい。で、選んだのはここです。

641930_0017さぁ、ここはどこでしょう。のどかに畑が広がっていますが、今は高架の複々線になっている喜多見~狛江間です。この頃は北多摩郡狛江町だったはず。
 車両はオール1900形の8連。ABFの8連は大部分が新宿寄り4両が1600形、小田原寄り4両が1700・1900・2100形という組合わせで、1600形が入らない8連が1運用だけありました。運用番号は984。新宿寄り(写真の右側)が98運用、小田原寄りが94運用です。
 前面の運板は文字がよく見えませんが、「急」の1文字ではないですね。まだ通勤急行は残っていたのかも知れません。あとで調べておきます。急行なのに行き先表示が準急用の〇囲みになっています。以下、1時間くらいの間に通過した列車をご覧ください。

641930_0016HE車(2400形)2本併結の下り急行、江ノ島・箱根湯本行き。相模大野で分割されます。

641930_0018下りの回送で新宿寄りから1600形×4+1900形×4。1600形は2連単位で運用記号はイ~チだったと思います。

641930_00192100形4連の上り各停。塗分け、アルミサッシ化で2220形とそっくりになったけど、やはり微妙に違います。

641930_0020おろしたての2600形。まだ床下も綺麗です。もちろん非冷房で5連。中型車の6連相当として、ラッシュ時のピークを過ぎた頃の急行に入っていました。

641930_00212320形+2400形の各停。2320形は原型の先頭車で、私はこれが最も正当派といえる小田急顔と確信しています。賛同される方はぜひコメントを残してください。

641930_00231600形+1900形の下り急行。行き先は4文字のようだから相模大野か。

641930_0024これはクハ1650形が先頭に出た8連。1600形はデハとクハで全長が僅かに違うし、前面もデハは雨樋が直線、クハはゆるい孤を描いています。

641930_00251800形4連の新宿行き準急。準急に種別表示の小さな運板が付いたのは、この前のダイヤ改正くらいからだったと記憶しています。行き先が急行用の白地ですが、この区別はだいぶいい加減でした。

641930_0027これは2220形×4+2400形の下り急行。この組合わせは相模大野での分割が本線6連、江ノ島線2連となる場合もありました。それにしても猫目の2200形が来ませんね。

641930_0007そろそろラッシュも終わり、荷電がやってきました。この頃はダークグリーンに黄色の帯。右がデユニ1100形、左がデユニ1000形です。

641829_0031ダイヤ改正で登場した快速準急。確か急行停車駅に経堂と成城学園前がプラスだったと思いますが、記憶があやふやなんで、これも調べておきます。実質的な急行倍増で、通学はだいぶ待ち時間が減りました。この撮影場所は相模大野でしょう。

641829_0032側面のサボは独特の書体でした。以上でダイヤ改正関連は完とします。

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コメント

いやなんとも痺れる写真です。この頃は良かったな~。

サイドにサボが付くのとそうでないのの区別があったのでしょうか?
記憶では江ノ島・湯本(小田原)まで行くヤツは大抵横サボ付いてましたが、
そうでないのはなかったようにも思ってましたが、快速準急出してるヤツもいたんですね。
向ヶ丘遊園以西も快速準急は各停にはならず、ランド前と鶴川に停車してました(平日は町田まで通過)。
母の実家が玉川学園にあったので便利な電車で、私が利用してた頃は、お買い物電車塗装の2600系がよく運用に入っていた印象があります。

 たっぷり痺れていただきましょう。ちょっとHE車が鼻につき始めた感じもありましたが。
 サボは急行には付けるのが原則だったようです。快速準急のサボは割と短期間、というより快速準急自体が短命でした。
 読売ランド前(誇大表示ですが)は西生田から改称されたばかりだったはず。鶴川はこどもの国へのアクセスですね。

小学校3年生(’66年頃)の遠足で神代植物公園に行きました。
北千束から現地までのバスで、途中、砧線と小田急の踏切があったことを覚えています。
今考えると、多摩堤通り、狛江通りという行程だったのでしょう。

お写真の風景ドンピシャのあたりを通りました。
行きに出会ったのは通常の小田急ツートン電車。(何形だかはわかりませんが)
帰りがビックリです。
パンタグラフもないクリーム色の単行が走っていて、あれはなんだ?と驚きました。

後に御殿場準急キハ5000を知りました。

懐かしい写真を有難うございました。

 この頃の喜多見、狛江なんかは、昼間、電車が来ないときは改札の職員も建屋に引っ込んでいました。電車が来ると「中で買います」といって改札を駆け抜け、車内で補充券を切ってもらうのが日常茶飯事でした。

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