大阪の夏は暑かった(その3)
高野線の線路跡を歩いてから大阪市内に戻りましたが、まだ陽は高いので、もう1箇所、かつての南海平野線(軌道)の跡を訪れてみました。平野線は地下鉄谷町線建設のため昭和55年11月に廃止され、残った上町線と阪堺線はその数日後に南海から分離して、阪堺電気軌道になりました。現在でも軌道の跡が辿れるのは、終点の平野付近のたかだか数100mくらいです。
地下鉄谷町線平野の1・2番出口から地上に出た所は、内環状線と呼ばれる広い道路で、ここから北に向かって最初の信号で交差している道路が、かつての平野線の軌道敷だったようです。写真は西方向を見ています。
振返って東側はすぐに行き止まりのようになっていて、突当りの左角に市立平野西保育所があります。写真で車の奥に見える木立の所からが、線路跡を利用した遊歩道になっています。
路面には所々に線路のような装飾があります。信号機はダミーで点灯しません。
上の場所から振返って、遊歩道の入り口を見たところです。
少し進むと、右側が広場になっています。丸い塔みたいなのは、かつての平野駅の駅舎の屋根をイメージしたもの。電車はモ205形のようで、一度描きかえられています。左の黒いプレートに平野線とモ205形の説明が記されています。
終点のあたり。線路を表す装飾は単線から2線に分かれるようになっていますが、実際には両渡りの先にホームがあり、1本が少し長く延びていました。
屋根付きの線路の終端には、車止めもあります。
線路の突き当りは南北に走る商店街になっています。実は2000年にも南海の取材でここに来ていて、気になることがあったのです。ご覧のように「平野南海」「NANKAI MALL」となっていますね。2000年時点でも南海から縁が切れて20年。いつまで南海に義理立てするのかと思っていたのですが、それからさらに14年たった今も、南海の文字は健在でした。
街路灯のプレートもこのとおり。南海が街路灯の費用を負担したとかのいきさつがあるのでしょうか。
商店街は少し寂れ気味で、こんな模型屋もありました。ペンギン模型という屋号で、店の脇の衝立がペンギンの形をしています。シャッターが一部開いていますが、模型屋としての営業はしていないようです。
« 阪神国道線、昭和48年 | トップページ | 日曜の午後… »
「鉄道全般」カテゴリの記事
- 18きっぷで身延線を乗り通す(2019.09.13)
- 白河発、青春18きっぷの旅(2019.09.04)
- 品川に現れた相鉄の電車(2019.09.01)
- よく似てる(2019.07.28)
- 初撮り(2019.07.03)
コメント