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2014年8月 3日 (日)

阪神国道線、昭和48年

 日も暮れて、やっとクーラーから冷たい風が出てくるようになってきました。こんな日に外に撮影に行くのは自殺行為と同じなので、家の中で古いフィルムをスキャンしてみました。すでに丸まりかけているネガもありますが、その前にごく一部で異常な盛り上がりを見せている阪神国道線を拾い上げてみました。
 今回のカットはすべて昭和48(1973)年10月22日の撮影です。ネガとカラーポジですが、当然、ポジはここぞというところしか撮っていません。 

Photoまずはカラーから。場所は車庫のある浜田だと思います。このあたりは土地勘のない所なので、間違いがあったら遠慮なくご指摘をお願いします。

Photo_2乗務員もここで交代します。高いビルがほとんどありません。行先板を見ると、野田~上甲子園間の区間運転のようです。

Photo_3これは野田行き。バックに蠅叩きが見えますね。

Photo_4歩道橋の上から大阪方面。

Photo_5同じく神戸方面、それにしても自動車の少ないこと。

Photo_6模型的な撮り方もしています。

Photo_7甲子園線と接続する上甲子園です。

Photo_8本線と接続する甲子園。ここはカラーでも撮っているはずですが、ポジが見つかりません。

13甲子園線の終点、浜甲子園。

10野田に戻って北大阪線にも乗ります。

12野田を出ですぐのあたり。

11この形式の室内灯です。

Photo_9ご存知、阪急と接続する中津。

Photo_10ここはカラーでも撮っています。

Photo_11終点の天神橋筋六丁目。この頃は阪神パークでも菊人形をやっていたのですね。
 以上、モノクロはニューキャノネットQL1.7で撮影しているので、すべて広角気味です。

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コメント

北大阪線、OER3001氏が就職して関西支社に出張した時、既に無くなっていましたが、野田からすぐの海老江には良く出張しました。

なんというグッドタイミング!
このような画像を拝見できるのはたいへんありがたいことです。
昭和48年・・・
私が第1次鉄真っ盛りのころ。しかも浜田車庫は当時暮していた生家から徒歩15分の距離。
私が写っていたとしても不思議ではありません!
でも、自分の目で見た景色のハズなんですが、どえらい昔に見えるなあ~(爆)!

 海老江のあたりは東京でいうと錦糸町とか亀戸あたりの雰囲気が感じられました。

 浜田の車庫から徒歩15分くらいのところといったら、私もカメラ持った怪しげなオッサン(その頃はまだ20代)として目撃されていたかも知れませんね。

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