フォクトレンダーのカメラ
先日、ちょっと話しを振ったフォクトレンダーというキーワードに僅かながらも反応があったので、今日はこれについて熱く語りたいと思います。
現在、日本ではコシナがフォクトレンダーというブランド名の使用権を得て、往年の名前を冠したレンズ発売しています。その本家本元のフォクトレンダー社は1756年にオーストリアのウィーンで創業し、当初はオペラグラスで優秀な品質を誇っていました。
1849年、オーストリアの政情不安からドイツに移り、1900年頃からカメラの製造が始まります。日本ではこの頃の乾板を使うカメラを小西六商店(コニカの前身)が扱っていて、名前はドイツ語読みに「ホクトレンデル」と表記されています。ちなみに、綴りは Voigtländer となります。
フォクトレンダーのカメラの特徴は、外観やメカニズムが独創的なことで、機構的には最適と思われても、他社の製品にあるようなことは意地でも採用しないというような拘りがあります。これは少々臍曲がりなカメラマニアには賞賛されても、商売としては成り立ちにくく、1960年代には日本製カメラの進出に対抗できなくなり、1969年、世界的な光学メーカーであるツァイス・イコン社に合併されます。
しかし、日本製カメラの躍進の前にツァイス・イコン社は1971年で一般用カメラ事業から撤退し、翌年にフォクトレンダーのブランドはローライ社に譲渡されてしまいます。そのローライ社も決して安泰ではなく、水面下での紆余曲折を経て、日本のコシナがフォクトレンダーのブランド名を冠したレンズを製造、販売するようになったのです。
というわけで、私が今までに使ったことがあるフォクトレンダーのカメラを紹介しましょう。最後に出てくるVSL1以外は処分してしまって手元にないので、写真はCLASSIC CAMERAS PRICEGUIDE'92から転載しています。
最初に手にしたのがこれ。35mm判では最もフォクトレンダーらしいカメラといえるビテッサで、単独露出計がついたビテッサLといいます。発売は1954年、1964年に中古を買いました。
見てのとおり奇抜な外観ですが、実は蛇腹のついたスプリングカメラで、レンズを本体に押し込めば、前面の出っ張りは1cmくらいになります。右側の棒(プランジャー)でフィルムを巻き上げ、レンズをたためばこれもボディー内に押し込めます。
ピント合わせは軍艦部の露出計とアクセサリーシューの間にあるノブを回すとレンズ全体が前後します。巻き戻しシバーは底辺にあり、ボティーカバーの下半分がぱかっと外れて、フィルムの装填を行います。
レンズは50cm/F2のウルトロン、シャッターはライトバリュー式のシンクロコンパーで、最高速度は1/500秒です。このレンズはカリカリではないけど解像力はよく、ライカのズミクロンに匹敵するといわれています。
大学に入ってからの2年間ほどはこのビテッサを持って通学していました。注目度は満点ですが、使ってみると時々フィルムの空送りが起こるのです。慣れて来ると巻き上げの時のプランジャーに手応えがなく、スコンと抜けるような感じの時が危ないとわかり、そんなときは念のためもう一度巻き上げるようにしていました。
フィルムを送る方向が一般のカメラと逆なので、現像したフィルムをネガカバーに入れると、ネガ番号が画面の上に来ます。だから今でもネガを見ればビテッサで撮ったフィルムはすぐ区別できます。
これはプロミネント。1952年製で、レンズシャッター式ですがレンズ交換が可能です。レンズは標準が50mm/F1.5のノクトン、広角が35mm/F3.5のスコパロン、望遠が100mm/F4.5のダイナロン。これに広角と望遠兼用のファインダーも付いています。
レンズ交換時の光線漏れを防ぐため、シャッター羽根が二重になって、フィルムの巻き上げは向かって左側のノブ、ピント合わせは右側のノブで行います。シャッターが一回り大きいサイズのせいか、1/500秒の時は巻き上げノブがすごく重くなります。それと、撮影したフィルムを見ると、コマとコマの隙間が非常に狭いので、ビテッサと同様にネガを見て撮影したカメラが特定できます。
この頃は父親の方がフォクトレンダーに熱を上げ、私は古いカメラ年鑑を仕入れては、こんなのもいいねと煽っていました。
これはベッサマチック。1960年製で、買ったのは1965年でした。一眼レフですがレンズシヤッター式で、シャッターを切ってもミラーは戻らず、ファインダーはブラックアウトになります。露出計はファインダー内に表示が出る追針連動式で、右側ダイヤルの外側を回すとレンズの絞りが動きます。
レンズはテッサータイプのカラースコパー。癖のない素直なレンズでした。交換レンズは揃わなかったのですが、別に36~82mm/F2.8のズームレンズ付きを父親が買い込み、一時は2台体制になっていました。ズームレンズは前玉が馬鹿でかく、レンズシャッター式で光学的に無理があったのか、写りは周辺部が流れてボケボケでした。
これはビトマチックⅡa。1960年製で、買ったのは昭和の終わり頃だったかな。前の3台と違い、全額自己資金です。このカメラは等倍の明るいファインダーが特徴で、それに惹かれて手に入れました。さすがに経年でファインダーの二重像は少し掠れ気味でした。
レンズは50mm/F2.8のカラースコパー。廉価版のカメラなのでシャッターはプロンター、最高速度は1/300秒です。レンズシャッターはドイツのコンパーが一流品で、プロンターはそれに次ぐとはいえ、機械としての信頼度はかなり劣ります。
見かけは割と平凡のようですが、フィルム巻上げレバーは背面にあり、巻き戻しノブも通常は軍艦部に埋め込まれています。巻上げ用のスプロケットはレンズの真後ろの位置にあるし、綺麗なメッキはビテッサと一脈通じるものを感じます。
これは今でも手元にあるVSL1。父親がいつの間にか買い込んでいたものです。1974年発売なのでローライの傘下に入ってからの製品であり、製造も同社のシンガポール工場ですから、もはやドイツのカメラとは認めないという頑ななマニアがいるのも頷けます。
布幕式フォーカルプレーンシャッターで最高速度は1/1000秒、もちろんクイックリターンミラーで、露出計は追針連動式という、とりたてて特徴のない廉価版クラスで、その割には大きくて重い。巻上げレバーは角度が180度以上あるし、これに邪魔されてシャッターボタンが押しにくいなど、使い勝手はあまりよいとはいえません。
レンズはネジ込み式のプラクチカマウントで、標準レンズは50mm/F1.8のカラーウルトロン。実際はローライのプラナーと同じといわれています。
交換レンズは望遠が135mm/F4のカラーダイナレックス(左)、広角が35mm/F2.8のカラースコパレックスの2本。標準のカラーウルトロンとともにオレンジ系のコーティングが施されています。
3本とも絞りやフォーカスリングの感触は絶妙。全体の作りもしっかりしていて、シンガポールで作ろうともドイツの面目が感じられます。描写もなかなか繊細だし、なんといってもドイツの流れを汲む純正のフォクトレンダーですから、この3本セットは永久保存にします。これでカメラ本体のフォクトレンダーの書体がオリジナルなら、いうことはないのですが。
最後にオマケ。これもいつの間にか父親が買い込んでいたストロボです。ガイドナンバーは20くらい。ちょっといたずらしてオリンパス35RCと組合わせてみました。大きさのバランスは悪くないと思います。
以上で、私が手にしたフォクトレンダーのカメラとレンズの紹介を終わります。ここまで眠くならずに読み通された方は、すでにフォクトレンダーマニアか、あるいはこれからマニアになる素質を備えています。ただし、これ以上深入りするかどうかの判断は自己責任でお願いします。
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遍歴、楽しませて頂きました。
フォクトレンダーというと、やっぱり飛び出す棒がインパクトありましたね。
90年代はそういう方面の入り口に首を突っ込んでいましたので、そういう方面に強い知人が多数おります^^;
投稿: よこやま | 2014年2月24日 (月) 23時26分
やはりフォクトレンダーといったらビテッサです。回りの連中は旗立てカメラと呼んでいました。
今のところ付き合うのは純正に限るとしていますが、そのうちコシナ製でもフォーサーズマウントが出たら、お手つきしてしまうかも知れません。
投稿: モハメイドペーパー | 2014年2月25日 (火) 20時13分