遠州鉄道奥山線
昭和39年3月、大学の入学も決まり(付属高校なので、形どおりの受験)、福島模型製作所でアルバイトを始めました。そこで一緒になったバイト仲間から、遠州鉄道奥山線というナローラインがこの夏あたりで廃止になるという話を聞き、それならと飯田線を絡めての撮影旅行に出かけました。
その頃、ナローゲージの知識はほとんどなかったのですが、三重交通湯の山線に登場した4400形(現在は三岐鉄道の200系)がきっかけで、ちょっと毛色の変わった電車を見ておこうという気になったのです。
浜松というのは夜行列車で行くには半端な距離で、貧乏学生には大阪行きの普通列車しか選択肢はありません。夜の10時過ぎに東京発、浜松はまだ4時台でした。乗った車両は岩手県の大船渡から滋賀県の近江絹糸に集団就職するという女子中学生の団体で満員でした。
浜松はまだ夜明け前。遠鉄浜松の駅は今と異なり、国鉄の駅から少し離れた位置でしたが、なんとか辿り着きました。ホームの反対側には遠鉄本線の電車が停車しています。
奥山線は途中の曳馬野までが電化、その先はディーゼルで、客車だけが直通します。右はキハ1803が先頭についた気賀口行、左は電車が先頭の遠鉄浜松行きです。
この日はあいにくの雨。写真は構内でしか撮れません。
気動車もキハ1801~1803は電車とほぼ同じ車体です。
気賀口からの客車に増結するモハとサハが入れ換えて来ました。乗客も屋根の下に固まっています。
トレーラーは種々雑多、これが一番古そうなタイプでした。
車号は上の1103と1番違いですが、スタイルはまるっきり違います。このあたりの経歴はまるでわかりません。
気賀口までの途中で交換したキハ1804。これは馬力もあり、結構スピードも出たそうです。見てのとおり湘南マスクで、井笠のホジ1形とほぼ同形態です。
終点の気賀口です。折返し時間があったので、停車中のカットも撮れました。キハ1803は廃止後、尾小屋鉄道に譲渡されたはず。
線路のドン詰まりに置かれていた貨車。かつては右の踏切を越え、線路は奥山まで延びていたのです。
雨のおかげで沿線での撮影は諦め、遠鉄浜松に戻ります。絶好の撮影ポイントとされる都田口あたりも、居眠りしていて朧気にしか記憶にありません。
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コメント
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初めて目にするナローの写真です。ナローってなぜか貨車までボギー車なんですよね。そこがまたいい。1803は後年、尾小屋で目にしたあの気動車なのでしょうか?
投稿: ぼっちぼち | 2014年1月 8日 (水) 22時07分
時代を感じますね。集団就職の女子中学生なんて!
写真撮りにいかれた身は、彼女たちからは羨ましがられたことでしょうね。
親に感謝ですね。
投稿: OER3001 | 2014年1月 8日 (水) 22時54分
遠鉄は間に合いませんでした。静岡のナローは見に行けませんでした。代わりに近鉄ナロー、下津井、尾小屋には行きました。1803は、尾小屋に行ってクリームと赤の尾小屋色になり、180をクリームで塗りつぶし3だけを赤に塗り、キハ3として使っていたようです。確かまだ終点の尾小屋に保存されているのではないでしょうか?
それにしても乗り合わせた女子中学生の集団就職という言葉に、時代を感じますね。
投稿: 工房5丁目 | 2014年1月 8日 (水) 23時48分
静岡でナローといったら静岡鉄道駿遠線が有名で、遠鉄奥山線はあまり話題にあがらなかったようです。私にとってはナローといえども電化が前提です。
キハ1803は工房5丁目さんに説明どおりで、まだ現存しているはずです。
集団就職、正に昭和の象徴のような言葉かも知れません。1団体全部が近江絹糸への就職かはともかく、関ヶ原を越えるのは確かのようでした。
投稿: モハメイドペーパー | 2014年1月 9日 (木) 22時13分