昭和38年、碓氷峠
昭和38年の春休みだったと思います。この年の夏に横川~軽井沢間が全面的に粘着運転に切り替わるので、アプト式の乗り納め、撮り納めに出かけました。八高線の一番列車から信越ローカルのクモハ40に乗り継ぎ、横川に到着。このあたりのネガは捜索中なんで、発見したらスキャンしてお目にかけます。
さて、横川からは沿線で撮影しようと、無謀にも一人で峠道を歩き始めました。途中で1箇所、線路をオーバークロスする場所があったのですが、写真は撮れません。そのうち、雲行きが怪しかった空からは雨が降り始め、傘をさしてなんとか熊ノ平まで到着。ここで歩きは諦め、列車に乗ります。峠を下って来た上野行きの急行。「信州」かな。
長野行きの普通列車。編成は6両くらいと短いので、後部に貨車が連結されています。
軽井沢でD51にバトンタッチします。もう架線が張られていますね。画面の右奥にターンテーブルも見えています。
入換え用にはC12がいました。後ろのトラ?に石炭を積んでいるのでしょうか。
戦時型のD51です。ランボードの白線は、この頃の長野機関区の特徴です(そのくらいは私にもわかるって)。
発車を待つ上野行きの普通列車。これも貨車が連結されています。
暇を見て中軽井沢まで行ったようです。小学校の林間学校で来た時は沓掛でしたが。セドリックの新旧タイプが並んでいます。
これは中軽井沢に到着する上りの普通列車だと思います。ということは、軽井沢以西の電化は完成して、一部の列車は電機牽引になっていたのですね。
軽井沢で最後部にED42が連結されます。やっとこの頃(15時くらい)、雨があがってきました。
軽井沢を発車し、間もなくアプト区間に進入します。電留線には準急「軽井沢」の80系が停車中。この列車はEF63が付いて新線を走るはずです。
熊ノ平まで下った来たら晴れていました。ラストチャンスのせいか、雨の割にはそこそこの枚数を稼いでいます。
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すごい、歴史的な写真ですね。私はこの時分は撮り鉄などできる年齢ではなく、ただ、山手線の高架を眺めているだけでした。それにしても、こちらのブログにSLが登場するとは、驚きです!
投稿: ぼっちぼち | 2013年11月26日 (火) 06時28分
本当に貴重な写真 ありがとうございます。
この頃 私は頻繁に直江津方面に出張していました。当時「鉄」だったら一杯写真を撮っていたのにーと思います。
でも 粘着に切り替わった時 感動したものです。
投稿: 阪S | 2013年11月26日 (火) 09時05分
1年先輩のモハメドペーパー様ですから、流石に羨ましい所へ出掛けられておいでですね。前からアブトを撮られているとはお聞きしておりましたが、やっと拝見出来るようで、楽しみにしています。私はこの年に高校入学でしたので、その間際に行かれていたようです。無くなる直前の9月に初めて鉄道写真を撮るために行ったのが、碓井峠でした。何せ始めて使うカメラで、ピンボケ、絞りは滅茶苦茶、おまけに雨降りの散々な一日でした。横川では晴れていても、峠は雨ということが多かったようで、寧ろ当然だったようです。昭和28年に一度 長野旅行の際に乗って以来でしたが、本当に面白い区間でした。現物に乗れたことは、最も良い思い出でもあります。
投稿: きぬやまスカンク | 2013年11月26日 (火) 09時55分
このときは借り物のカメラで露出計はなし。晴れたらf8で1/250を目安に撮っていました。天気が悪くて1/125も平気で切っていたから、かなりブレています。
このブロク、電気もの限定ではないので、いずれちゃんとしたSLも登場します。ご期待ください。
横軽でまともな?写真を撮ったのはこのときだけで、EF63の時代はずっとご無沙汰していました。まぁ、ほとんどまともな撮影ポイントがないところですから。今考えれば、熊ノ平の構内で撮影したのが、一番貴重な記録かも知れません。
投稿: モハメイドペーパー | 2013年11月26日 (火) 19時51分