身延線など(昭和38年)
昭和38年9月の秋分の日だったと思います。中央線→身延線→東海道本線→御殿場線という経路で、初めて身延線を乗り通しました。青春18きっぷは発売されていなくて、学割を使ったはずです。
夜明けから間もない時刻の高尾駅。ここから左に停車している始発の客車列車に乗りました。まだホームの屋根も短いし、天狗の石像もありません。
甲府から内船まで乗った快速です。急行どころか準急もない時代で、1日に2往復の快速がありました。甲府発は8時台後半でした。
この頃の電動車はクモハ14の800番代が主力。クハは47のほか、17mのクハ16も混じっていました。快速のヘッドマークは飯田線と同じデザインです。
この頃は少数派だったクモハ41850。平妻のモハ40048を片運転台に改造したクモハ41095を、再度、身延線用に低屋根化したものです。
富士宮に近いあたりでしょう。最後尾がクハ16ですね。
富士宮かな。貨物はED17の独壇場でした。これは通風口が変っているので、車内からスナップしました。
富士から沼津まで乗ったのがこれ。クモハ14-クハ47が4または6連で静鉄管内の東海道ローカルに使用されていました。クモハ14はこちらがほぼ原型です。
連結相手のクハ47はオールロングシートの50番代でした。扉間に何人座れるのだろうか。
国府津までは御殿場線に乗りました。下蘇我でD52(単機らしい)と交換。低いホーム、線路脇の通信用ケーブルなんかも、この時代には当たり前の光景でした。
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