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2013年4月22日 (月)

昭和38年9月の井の頭線

 久々の懐古シリーズは昭和38年9月の京王井の頭線です。この頃はまだ借り物のカメラを使っていたりで、写真のできはいまひとつです。

630710_0002 西永福駅。電車はデハ1800形で、まだ前照灯は1灯です。公衆電話のボックスが懐かしいですね。

630710_0006 この頃の高井戸駅は相対式ホームでした。今はこの背後に清掃工場があるし、右端のホーム外れに見えている小さなガードをくぐる道路は、環状8号線になっています。

630710_0003 高井戸から富士見ヶ丘へ築堤を下ってゆく3000系。第1編成で、まだパンタはPT42を付けています。先頭車の窓上の白い札は、神泉駅でドアが開きませんという表示です。

630710_0009 富士見ヶ丘の検車区はまだ留置線が何本か敷かれただけでした。周りに塀などはなく、となりの久我山から神田川沿いに歩いているうち、気がついたら電車のそばまで来ていました。先頭は帝都電鉄生え抜きのデハ1400形。

630710_0010 デハ1400形の台車。川崎車輌の一体鋳鋼製で、ちょっとアメリカっぽいスタイルです。戦前の川車は台車に形式をつけなかったようで、K-3というのは京王の部内的な呼び名です。
 同様に東急デハ3450形の台車も、部内では川車3450形と呼んでいました。

630710_0012 デハ1710形は京急用として製作し、戦災で大量の被災車が出た井の頭線に回されました。デハ1400形より一回り大きく、これが井の頭線車両の標準寸法になります。
 台車が長軸用だったので、後に京王線に転用されました。

630710_0013 デハ1710形とほぼ同寸法で両運転台のデハ1760形。この編成はオールMの3連ですが、デハ1760形のみの3連を見たことがあります。

630710_0014 デハ1760形の台車。京王線デハ2600形の日立製KBD102とよく似ていますが、こちらは日車製でW-1-18という形式。特殊な部材を使わないので、戦時中の新製車によく見られたタイプです。

630710_0015_2 3000系第2編成。パンタはPS13です。この編成は昭和38年10月竣工となっているので、撮影日が9月だとつじつまが合いません…。
 このあと、どこからか職員が出てきて、ここは入っちゃいけないと注意されました。でも最初に書いたとおり、ごく普通に電車のそばまで近づける状況だったのです。

630710_0020 三鷹台駅に停車中の1000系。ホームは2両分そこそこしか屋根がありません。

630710_0017 東急デハ3550形になるはずだったデハ1700形。前照灯が2灯化されています。これも長軸台車だったので、京王線に転出しました。模型の世界では神を恐れぬ行為として非難される逆改軌ですね。

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コメント

PS-13パンタを付けた京王3000系とは、なかなか興味深いですね。
すごく意外な取り合わせです。

 京王では高速運転をしない井の頭線はPS13で十分として、3000系第1編成と1000系のPT42を京王線2700系に回しました。
 5000系も第6編成まではPS13だったし、3000系も確か第15編成まではPS13で登場しています。
 PS13は廃車になった小型車から外したのを活用したわけで、現場では頑丈で扱い易いし、空気バネ台車になれば集電性能は変わらないといっていました。

いや~実に懐かしい貴重な写真を楽しませていただきました。 折しも只今井の頭線写真集を編集中! 台車の写真を借用したく、近日ご協力お願いさせていただきます。

 今になってみれば、もう少ししっかり撮れなかったのかと思います。使えそうなものは出し惜しみしませんので、遠慮なくお申し付けください。

こんにちは。
貴重なお写真、楽しく拝見させて頂きました。
私がまだ幼かった頃、まだまだ井の頭線沿線にはのんびりとした雰囲気が残っていました。7色の3000系が当たり前の存在でしたが、こうして振り返りますと、旧型車の湘南電車のスタイル、面影を残した車両でした。
緑色の電車ばかりの中に、ステンレスの4両固定編成が登場したときには、どのような印象を持たれたのでしょうか。京王線には5000系スタイルの吊り掛け電車が登場し、ステンレス車は一つもないなど、まだまだ新旧世代が混在していた時代だったのだろうと思います。パンタグラフに関するご記載にも興味を惹かれました。
今の井の頭線は、すっかり綺麗になりましたね。駅も、車両も、お写真の時代、私自身の幼き頃の記憶は、随分と遠くなってしまったように感じます。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

風旅記さま、

この時代の京王帝都はよくも悪くもなりふり構わずの時代だったように思います。パンタや台車のタライ回しだとか前照灯の2灯化はまだしも、2段窓の下段だけ強化ガラスにしてアルミサッシになるなど、他社では見られないことをやっていました。

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