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2012年7月に作成された記事

2012年7月31日 (火)

地下化直前の京王線新宿付近(2)

 前回と同じフィルムからですが、新宿駅は
こんな具合でした。

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 ホーム先端から発車した列車の後追いです。


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 13番線に停車中の電車。ホーム先端部は
屋根がありません。


Img_0005
 改札口はホームの行き止まりにありました。
屋根がかかっているのは3両分くらいでしょうか。

Img_0019

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 工事中で道路との境の柵が取り払われ、
ホームが丸見えでした。

Img_0025
 駅の正面です。上の5点とは別の日で、
春闘のスト決行中です。

2012年7月28日 (土)

地下化直前の京王線新宿付近(1)

 京王線は昭和38年4月1日からまず甲州街道を
走っていた併用軌道区間が地下化されました。
これはその直前、2月頃の撮影です。

Img_0031
 甲州街道から新宿駅を見たところ。現在の
京王デパートの角あたりになります。この頃の
ホーム番線は国鉄からの連番で、小田急が
9~12番線、京王が13~16番線でした。14番線
から東八王子行きの急行が発車したところです。
 方向板の文字は読めませんが、△は新宿~
東八王子、八角形は新宿~高幡不動、◯は
新宿~府中というように区別されていました。

Img_0034
 同じ場所からの初台方向です。バスの後方に
見えているのは文化服装学院の円形校舎で、
この頃のランドマークでした。京王の技術関係の
社員は、電磁弁とかスライダックと呼んでいた
そうです。

Img_0047
 甲州街道上から東口方面を見たところ。国鉄を
跨ぐ部分は拡幅工事の真っ最中です。左の建物
が今のファーストキッチンの位置です。電車は
2010系の1次車で、旧型を改造したサハを組込ん
でいます。

Img_0048
 2010系の快速京王多摩川行きです。前面に
架線柱の影が落ちているのはこの際無視して
ください。撮りたかったのは電車のちょい前に
あるカーブ半径を表す標識なのです。
 なんと半径95m。普通はかなりきついカーブと
いっても160mくらいですから、恐らく本線上では
最も急なカーブだと思います。地下化で多少緩和
されましたが、それでも110mでしたから、ここを
20m車が通過するなんで、とても想像できなかった
のです。

2012年7月25日 (水)

昭和38年、東北沢

 昭和38年の2月頃、小田急電鉄東北沢での
撮影です。この駅はホームが副本線(待避線)
だけという、当時の私鉄では珍しい線路配置の
駅でした。最後の1枚を除き、午後に上りホーム
から下り列車を撮影しています。

Img_0013
 三菱の大型パンタ(S-514)を乗せ、まだ原型
の雰囲気を残している1600形。ラッシュ時には
2連で1900形の増結用に使われることもありま
した。1900形より車体が少し短く、その分軽くて
加速がよかったですね。

Img_0016
 元特急用の1700形。前面2枚窓、張上げ屋根
で登場した1705-1706編成です。更新されて間も
ない頃で、前面は貫通タイプ、アルミサッシがよい
アクセントになっています。
 ゲルリッツ式の台車(FS-108)で乗り心地は
よかったけど、自重が重くて加速は悪く、運転士
泣かせだったようです。

Img_0014
 御殿場線直通の特別準急(ゴテ準)のキハ
5100形。ヘッドマークの文字はよく読めないけど、
撮影時刻から推測すると「芙蓉」だと思われます。
平日の列車はほとんど1両で、下りは新宿を
特急の1分後に発車していました。

Img_0015
 知る人ぞ知る、小田急の名物列車といえる
新聞電車です。夕刊輸送用に下りのみ2本
設定されていました。1本目は3連で13時過ぎ
に新宿発。相模大野 以遠に配送するので、
同駅で2両は小田原線、1両は江ノ島線に分割
します。
 後の1両はデニ1100形ですね。もう少し後に
なると、デハ1300形の3連(ZXY運用)になります。
ちなみに2本目は15時頃の発車で相模大野まで
の配送。車両はABF、1800形などの2連が使用
されていました。
 この写真の左上の方、本線から分かれている
線路が見えますが、砂利取り下ろし用の側線です。

Img_0022
 最後は下りホームからで、通過するのは
デビュー間もないNSE(3100形)です。という
のは改めて説明する必要もないでしょうが、
問題は待避している列車の方なのです。窓の
大きさから1900形だというのは容易に想像
できるでしょう。お、1914の編成かとわかる人は、
かなりの小田急マニアです。
 この車両はいろいろわけがあって帝都電鉄
から流れ着いたデハ1501-クハ1551を更新
名義で1900形に編入したものです。なのでこの
写真からわかる範囲でも、クハの台車がTR11
(改造当初はKS30L)、デハの台車が平軸の
KS31で制御器がCS-5とう違いがあります。
 なお、1501、1551の車体はデユニ1001、1002
に転用されています。

2012年7月22日 (日)

記念乗車券

 切符の蒐集は私にとって本命ではありま
せんが、身近なところのものは文字どおり
記念品として買っていました。その中で一番
古いものから数点をご紹介します。保存状態
は最良とはいえず、折れたりしているものも
あります。
 この頃の記念切符は大半が新線開業に伴う
もので、高額なセット販売はなく、ほとんどが
1枚ものでした。

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 手元にある中で一番古いものです。上は
地下鉄丸ノ内線が新宿まで延長された時の
もので、赤坂見附で銀座線との乗換えができる
ようになりました。
 今なら当たり前ですが、地下鉄同士の乗換駅
はこれが最初で、方向別に上下2層になって
いるのが話題になりました。銀座線の開業時から
赤坂見附駅は将来を見越した2層構造で造られ
たというのも驚きです。
 この頃の地下鉄はまだ全線均一運賃なので
下車駅での集札は行わず、改札口に使用済み
切符を入れる箱が置かれていました。だから
使用済みの
記念切符も簡単に持ち帰ることが
できたのです。
 下は日比谷線が最初に開業したときのもの。
東武、東急との相互乗入れのため、営団地下鉄
で初の1500V・架線集電になりました。ATCも
採用され、世界最新の電車という文字が誇らしげ
です。3000系の運転台は寒暖計を横にしたような
速度計が珍しかったのを覚えています。

 
P7219285
 こちらは都営地下鉄1号線(浅草線)人形町~
東銀座間開業の記念切符です。いずれも切符
部分は切り離されているので、マニア的には
価値がありません。大きいのが地下鉄用、他の
3点は都バス、都電、トロリーバスのものです。
たいした金額ではないので、もう1セット買って
完全保存しておけばよかった、というのは後の
祭りです。

P7219286
 これは相模鉄道の保有車両100両突破を記念
したもの。100両のうちの半数以上を6000系が
占めていたはずです。日付が図柄に印刷されて
いますが、その日に売れ残ったのはどうなったの
でしょうか。

2012年7月19日 (木)

初めてのカメラ

 初めてカメラを使ったのは小学校6年の
修学旅行の時(昭和32年)で、そのカメラが
奇跡的に残っていました。
 これです。

 
P7189170

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 ケースはだいぶボロボロですが、中身は
原型を維持しています。私の父が使っていた
もので、この時代の子供用カメラとは違い、
金属製です。昭和20年代後半の製品と思われ
ますが、今でもメッキは綺麗だし、全体にしっかり
した造りです。
 BOLTAX(ボルタックス)Ⅲという名前のよう
ですが、Ⅰ、Ⅱはあったのでしょうか。

 
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 図面風に前、後、上、下を撮ってみました。
横幅がほぼ8cm、重さは約193gです。
 レンズは40mm・F4.5、恐らくトリプレットタイプの
3枚玉でしょう。シャッターは2枚羽根でB(バルブ)
と1/25、1/50、1/100秒、向かって右側がチャージ
レバー、左側がレリーズレバーです。

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 距離は目測ですが、前玉回転式ではなく、
スクリュー式でレンズ全体を繰り出します。
一番繰り出すとかなり出っ張ります。

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 フィルムはボルタ判を使います(今は発売
されていません)。リーダーペーパー付きで
約24×24mmの画面が12枚撮れました。ライカ
とは逆に軍艦部を取外して装填します。

P7189182
 背面も開閉式で、これは1枚目の位置を確認
するためだったと思います。

 というわけで、レンズは少し曇っていますが、
シャッターはちゃんと作動するので、フィルムさえ
あれば、撮影は可能です。
 35mmフィルムも装填できますが、フィルムの送り
が確認できません。ダメモトで遊んでみるのも
おもしろそうです。

2012年7月16日 (月)

地元ネタ

 私、中野区民ですが最寄り駅は中央線の
高円寺です。複々線になる前の中央線は
地平を走っていて、阿佐ヶ谷寄りに折返し用
のY線がありました。
 複々線工事が始まるとこのY線を撤去して
下りホームを阿佐ヶ谷寄りに移し、元のホーム
跡に高架用の支柱が建ち始めました。

Img_0014
 昭和37年8月(詳しい日付は不明)、明日
から下りホームは仮ホームに移りますという日。
つまり、本来の下りホーム最後の日の高円寺駅
南口(下りホーム)です。すでに駅名の表示は
取り外されていました。

Img_0029
 これは昭和38年になってからですが、移設
された下りホームからの撮影。元のY線が下り
本線になっています。上りホームのバックに
見える建物は東急系の東光ストアです。

Img_0036
 これも昭和38年春頃、上りホームからの撮影。
高架の支柱が建ち並んできましたが、まだ元の
下りホームが残っています。

2012年7月14日 (土)

昭和37年夏

 昭和37年、私は高校2年でした。我が家にあった
カメラは距離計のない6×6判のスプリングカメラ
だったので、ピンボケの連発。35mmカメラは借り物で、
シャッタースピードも最速が1/300秒しかなく、走る
列車を撮ると大部分はブレていました。まぁ、それ
以前に腕も未熟だったわけですが。

Img_0010
 これは中央線下り緩行が信濃町に到着する寸前の
スナップ。当時の緩行は基本6両の千葉寄りに付属を
2両連結していました。私が乗っていたのは後ろから
2両目ですね。リベットがあるからクハ16かクハ55で
しょう。基本編成も4両目がサハ57、6両目がクハ16の
ようです。
 併走する快速は101系、非冷房なんで窓全開です。


Img_0007
 昼間、
6連で走っていた緩行は、夕方のラッシュに
備えて15時過ぎ頃から付属編成を増結します。写真は
中野駅の1番線で増結車が一旦停止したところ。
クモハ73の運行番号表示窓が2桁だから、関西からの
転属車かも知れません。

Img_0013
 地下鉄が一番高い所を走るので有名な渋谷駅。
バスの車内から撮ったようです。車両は左端が1600形
か1700形、2両目は1500形でしょうか。この頃の渋谷は
東横百貨店以外に高層建築は見当たりません。

2012年7月12日 (木)

ヨドバシカメラの特価表

 ま~るいみどりの山手線…のコマソンで有名な
ヨドバシカメラが新宿にオープンしたのは昭和42年。
今のカメラ館の裏あたりで、間口は1間くらい、
ちゃんとした店舗ではなく、怪しげなバッタ屋のような
雰囲気でした。

 そのヨドバシカメラの店頭に置かれていたのが、
黄色の紙に印刷されたヨドバシカメラ特価表です。
新聞紙大の1枚もので、取り扱い商品すべての正価、
卸価、ヨドバシ特価がびっしりと印刷されていました。

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 手元にあるのは昭和50年4月発行なので、もう今の
フィルム館の所に、スーパー方式の店舗ができた頃
かと思います。ちょっとその内容をアップしてみましょう。

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 まずは印画紙、私も三菱の月光にはだいぶお世話に
なりました。オリエンタルのシーガルなんかも好きだったな。

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 フィルムはネガカラーがかなり普及してきています。
まだサクラの24枚撮りは発売されていないようです(4枚
増えて値段は同じ。どちらが得か、よく考えてみよう。と
いう萩本欽一のCMで有名になりました)。

P7119098
 この頃、ヨドバシではライオンという自社ブランドで
暗室用品なんかを販売していました。カラープリントが
まだ高価だったので、自分でできるプリントキットが
結構人気がありました。

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 カメラはどうかというと、キヤノンのF-1ボディーが
正価で10万ちょい。ミノルタとかトプコンとか、今はなくなった
メーカーも載っていますが、なぜかニコンはありません。

2012年7月 9日 (月)

二子橋の併用軌道

 前回の京王と同じ時期に撮影した二子橋です。

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 大井町線の溝ノ口行きが二子玉川園を発車し、
二子橋にかかったところ。

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 二子玉川園は大井町線と玉川線(玉電)の
ホームが並んでいました。玉電の引上げ線の終端
から、併用軌道を見たところです。

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 二子新地前を発車して二子玉川園に向かう電車。
この区間は単線でした。右側のオート三輪は「くろがね」
ですね。

2012年7月 7日 (土)

新装開店

 鉄道(と模型)絡みの写真で展開してゆくブログです。
最近、古いネガのスキャンを始めたので、それを中心に
ご紹介していきます。

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 昭和37年7月、新宿駅を発車した京王線です。
となりの小田急はホーム2層化の真っ最中。京王も
地下化を進めていて、ホームは板張りでした。

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 甲州街道を併用軌道で走る下り列車。左に見えて
いるガスタンクは、今のオペラシティの位置です。

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