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2012年7月25日 (水)

昭和38年、東北沢

 昭和38年の2月頃、小田急電鉄東北沢での
撮影です。この駅はホームが副本線(待避線)
だけという、当時の私鉄では珍しい線路配置の
駅でした。最後の1枚を除き、午後に上りホーム
から下り列車を撮影しています。

Img_0013
 三菱の大型パンタ(S-514)を乗せ、まだ原型
の雰囲気を残している1600形。ラッシュ時には
2連で1900形の増結用に使われることもありま
した。1900形より車体が少し短く、その分軽くて
加速がよかったですね。

Img_0016
 元特急用の1700形。前面2枚窓、張上げ屋根
で登場した1705-1706編成です。更新されて間も
ない頃で、前面は貫通タイプ、アルミサッシがよい
アクセントになっています。
 ゲルリッツ式の台車(FS-108)で乗り心地は
よかったけど、自重が重くて加速は悪く、運転士
泣かせだったようです。

Img_0014
 御殿場線直通の特別準急(ゴテ準)のキハ
5100形。ヘッドマークの文字はよく読めないけど、
撮影時刻から推測すると「芙蓉」だと思われます。
平日の列車はほとんど1両で、下りは新宿を
特急の1分後に発車していました。

Img_0015
 知る人ぞ知る、小田急の名物列車といえる
新聞電車です。夕刊輸送用に下りのみ2本
設定されていました。1本目は3連で13時過ぎ
に新宿発。相模大野 以遠に配送するので、
同駅で2両は小田原線、1両は江ノ島線に分割
します。
 後の1両はデニ1100形ですね。もう少し後に
なると、デハ1300形の3連(ZXY運用)になります。
ちなみに2本目は15時頃の発車で相模大野まで
の配送。車両はABF、1800形などの2連が使用
されていました。
 この写真の左上の方、本線から分かれている
線路が見えますが、砂利取り下ろし用の側線です。

Img_0022
 最後は下りホームからで、通過するのは
デビュー間もないNSE(3100形)です。という
のは改めて説明する必要もないでしょうが、
問題は待避している列車の方なのです。窓の
大きさから1900形だというのは容易に想像
できるでしょう。お、1914の編成かとわかる人は、
かなりの小田急マニアです。
 この車両はいろいろわけがあって帝都電鉄
から流れ着いたデハ1501-クハ1551を更新
名義で1900形に編入したものです。なのでこの
写真からわかる範囲でも、クハの台車がTR11
(改造当初はKS30L)、デハの台車が平軸の
KS31で制御器がCS-5とう違いがあります。
 なお、1501、1551の車体はデユニ1001、1002
に転用されています。

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コメント

さすが電車の神様。薀蓄がすごい!原型に近い1600も良いですね。フクシマ製1600が原型だったことが良くわかりました。これからも楽しい薀蓄を期待しています。

 この時期、小田急は1900形の更新が終わり、2220形の2連化が始まりました。東京はオリンピツクに向けての準備が具体化してきた頃です。

相鉄本線が本厚木に直通していた話をネットで観て検索したら、貴ブログに当たりました。写真を当時撮れるのは相当富裕な方だったと思います。
喜多見の畑が印象深かったです。その当時ちょこっと横に小田急が土地を確保しておけばこんなに揉めることは無かったでしょうに...
素晴らしい物を見させていただき感謝します。

 裕福というほどではないですが、学生の身だから1月に36枚撮り1本くらいのペースでした。その当時、20m車の10連が当たり前になるなんて、誰も考えつかなかったと思います。

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